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天22章 国司下向(その五) [天海山河]

「…。」
「…。」
家忠は杯を床机の上に置くと、沈黙を破った。
「わしは、そなたのことが少し怖くなってきたぞ。」
康政は目を反らして、押し黙ったままである。
家忠は空かさず、
「して、若君を戴いて、これから如何いたすつもりじゃ。」
と、訊ねた。
「縁談を調えようと思うておる。」
と、康政は小さく返した。
家忠は目を丸くした。
「当てでもあるのか。」
「宇都宮殿のご息女じゃ。すでに話も通しておる。」
「なんと。そのような大事なことを一人で決めておったのか。」
家忠は一瞬にして酔いが冷めた。
「やはり、家忠殿はご不満のようじゃな。」
と言うと、康政は肴を食いちぎった。
「いや、ただ余りにも突拍子ではないか。なぜ、わしに相談せぬ。」
「貴殿は承服せぬであろ。」
「左様なことは…。」
「嘘を申すな。そなたの顔を見ればすぐにわかる。家格か。確かに、宇都宮殿は安芸や長宗我部と同じく、伊予の国人衆じゃ。しかし、元を辿れば藤原北家隆家公の流れを汲む武家の名門。決して家を辱しめる格にあらず。」
と、康政は猪突の如く捲し立てた。
「落ち着け、そうではない。これ以上武家との関わりと深めて良いものかと。」
「ほう、家忠殿ともあろう者が、世間の流言を恐れているのか。他の摂家が武家と誼を通じる我らに眉をひそめておることなど、捨て置け。」
と、康政はいつにもなく苛立っていた。
「いや、違う。」
「違うものか。時節を思えば、一家眷族を纏め、領内の安寧を図るには近隣諸侯と誼を通じるが得策であろう。」
「それは分かっておる、しかし、この幡多の荘は前関白教房公が乱世を避けて来られた、まほろばの地。大津(大洲)の宇都宮殿と手を組めば、西園寺が攻めてくるのは必定のこと。その縁組みは反って一条家を危うくするのではないかとな。」
と、家忠が言うと、康政は不気味に微笑んだ。
「家忠殿よ、斯様に案じても、もはや我らはその渦中にある。此度の伊予攻めで西園寺は嫡子を失い、以後我らの味方になることはあるまい。ならば、敵の背後を窺える宇都宮殿と手を結ばぬわけにはゆくまい。」
「確かに、そなたの言う通りじゃ…。」
と、家忠は答えたが、どこか坂道を転がる小石のような感がある。
「遠慮せずとも良い。そなたの言いたいことは分かる。わしに、此度のことではそれだけの知恵しか回らぬかと。」
家忠は否とも応えず、押し黙った。
「図星か。わしとて所詮、その程度よ。わが知恵など、この四国の辺境にあっては九州、中国に割拠する大家を前にして、まさに大河の流れに身を任す笹の葉に等し。」
と、康政は酒をあおった。
「康政殿、左様に己を罵りなさるな。貴殿らしくもない。貴殿の知恵がこれまでどれ程、この家を救ってきたか。」
すると、康政はまるで人が変わったかのように、大きく目を剥き出し、
「ふはは、ああそうとも、このわしは文殊の知恵を預かりし身よ。この身、ううう…、されど力が欲しい。力が…。」
と、泣き崩れると、床机の上に突っ伏した。
「それ以上、酒を召されるな。身体に障る。房基公が亡くなられてもう八年。そなたに重荷を背負わせておったようじゃな。安心致せ、力はわしが担う。」
と、家忠が寄ると、康政は小さく寝息を立てていた。
「もう寝入られたか。わしはそなたのその留まらぬ性が怖いのじゃ。」
家忠は康政を介抱すると、松明の灯りに照らされる雨後森の城を見た。