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天21章 物部川(その三) [天海山河]

ところで、覚世は朝倉から戻って間もない頃であった。
娘婿の願い事に奔走し、さて、秦泉寺を攻めようと取り掛かった時であった。
ある日、村田八郎左衛門が吉田周孝の館にやって来た。
八郎左衛門は香宗我部氏の家来でありながら、長宗我部氏からも扶持を預かる特殊な男である。
大谷左馬助討伐に協力し、その恩賞の謝礼に現れたのである。
周孝は八郎左衛門を饗応し、ついつい深酒に浸ってしまった。
「村田殿、いっそのことこちらに鞍替えいたさぬか。」
と、周孝は戯れに誘った。
すると、八郎左衛門は、
「いやいや今はなりませぬ。我が主とご隠居様が揉めておりましてな。」
と、言った。
「ほほう、それはどうしたことじゃ。」
と、周孝は合いの手を入れると、
「いやはや、此度の岡豊殿の勢い目覚ましく、ご隠居様が家督を岡豊殿のご子息に継がせようと言い出したのでござる。」
と、八郎左衛門は口を滑らせた。
周孝はあんぐりと口を開けた。
一方、八郎左衛門の顔は見る見るうちに青ざめっていった。
「いやこれは、」
八郎左衛門は周章てて両手で口を覆った。
周孝は盃を置いて、詰め寄った。
「村田殿、わしとそなたの仲じゃ。今宵のことは誰にも広言せぬ。いったいどういうことか申してくれぬか。」
口から出たものはもう取り返しがつかぬ。
八郎左衛門は観念し、経緯を話しはじめた。

香宗城の北に中山田と呼ばれる丘陵がある。
その中腹ほどに屋敷があるが、そこは香宗我部氏の前当主、親秀の隠居所である。
親秀は入道して、遷仙と号しているが、土地の名前をとって中山田様と呼ばれていた。
この頃、香宗我部氏は郡守護とは名ばかりで、その勢いは日に日に衰え、もはや風前の灯火であった。
原因はすべて安芸氏の中原侵攻であり、安芸勢力は香宗城の半里、岸本というところまで迫っていた。
このままでは安芸氏に香宗我部氏は飲み込まれてしまう。
親秀は三十年前、嫡男秀義を安芸氏に討たれ、大の安芸嫌いであった。
そこで親秀は乾坤一擲の策を捻り出した。
家督を継いだ弟の秀通には娘がいる。これに覚世の男児をめあわせて、継がせようと考えたのである。
早速、親秀は秀通のもとを訪ね、相談した。
すると、秀通は激昂し、
「我には男子あり。他家より養子を貰う用はござらん。国親の武威を恐れ、その子を家嫡と為すは、乃ち武門の恥。」
と、とりつく島がなかった。
秀通は甲斐武田家の本流であるこの家を思ってのことであったが、親秀とて思うところは同じである。
その日、親秀は仕方なく城を後にした。

ところが、ことはそれだけでは済まなかった。
噂を耳にした家臣どもがにわかに騒ぎだしたのである。
家臣は養子を迎えることに異議申し立てる者は皆無であったが、その中には長宗我部氏を嫌う者多く、安芸氏との養子縁組を求める者もいた。
家臣どもは勝手に評定を開き、長宗我部派と安芸派に分かれ、侃々諤々に 言い争った。
殊に一族分裂にまで発展した池内家の言い争いは激しさを増した。
宗家池内肥前守真武は、
「安芸はご当家にとって積年の醜敵。この度のこと、中山田様のご意向に従うべし。」
と、主張すると、叔父池内玄蕃は、
「貴殿はお忘れか。我が一族は本山と同じく八木の血を引くものぞ。長宗我部とは因縁の仲。断じて長宗我部の軍門に降らぬ。ここは安芸殿と盟約を結ぶべし。」
と、反論した。
真武と玄蕃は同族とはいえ、大層仲が悪かった。
玄蕃は自分よりもはるかに若い真武が池内一族の長であり、かつ、筆頭家老であることに嫉妬していた。
「貴殿の申し様、一族の因縁に如かず。今はお家の大事を論ずべき時である。私意は控えられよ。」
と、真武は一喝した。
それを受けて、玄蕃は、
「これは異なこと。武門とは誇りあってこそのもの。貴殿はそれを忘れたと申すか。」
と、喧嘩を売った。
「何を申すか。今、ご当家を思えば、中原に勢いある長宗我部殿と盟約結ぶが第一の策ではないか。」
と、真武はつい若さが出た。
無論、玄蕃は見逃さず、
「ほう、それが貴殿の本心か。この玄蕃、よう心得た。貴殿は長宗我部を恐れて申しておるのじゃな。左様な者が一の夫とは片腹痛い。」
と、嘲笑し、席を立った。
真武は苦虫を潰し、押し黙って怒りをこらえた。

事態はますます紛糾するだけで、解決の糸口が見つからぬまま、無為に時が過ぎていった。
そんな最中、また一つとんでもないことが起きたのであるが、八郎左衛門が話したのはここまでである。
周孝はこの事を覚世に伝えた。
「では、いかにすれば良い。」
と、覚世は訊ねた。
「ここは成り行きをじっくり見ましょう。こちらが動けば動くほど、敵が増えまする。」
「なるほど。」
「されど、気づかれぬよう、水面の下で泳いでおりましょうか。」
「それが良いな。」
と、覚世は相槌を打った。
周孝は八郎左衛門から逐一、香宗我部氏の内情を伝え聞き、策を練った。





天21章 物部川(その四) [天海山河]

お家騒動は他家に知れてはならぬ最大の機密事項である。
香宗我部氏は一見平然を装っていたが、ある朝、城兵が物見櫓から辺りを見回していると、とんでもない物が目に飛び込んで来た。
城の南西、およそ半里の岸本村に月見山という丘がある。
かつて、承久の乱で土御門上皇が土佐に流されたおり、この山から月を眺めて、和歌を詠じたという。
その山に櫓が立ち、橘の軍旗が棚引いているのである。
「た、大変じゃ。」
城兵は櫓から転がるかのように駆け降り、
「月見山に安芸の旗が揚がっておりますぞ。」
と、城中に伝え回った。
池内真武は郭外の家老屋敷で、まだ床のなかにあったが、城からの使者の声に飛び起き、周章てて登城してみると、城内は上へ下への大騒ぎである。
ある者は倉から鎧兜を引っ張り出し、またある者は家宝什器を風呂敷に詰め、はたまたある者は時世の句を認めている。
「皆、落ち着け。敵はすぐに攻めてこぬ。」
と、真武は一喝すると、櫓に駆け上がった。
「やはりな。」
真武は月見山の様子を見て、確信した。
「よいか、皆、あれはただのこけ脅しじゃ。安心せよ。もし敵が今すぐにでも攻めてくるならば、軍旗をわざわざこちらに向けて見せつけることはない。されど、安芸はあれに砦を構えるつもりであろう。そのために、こちらが攻めてこぬよう脅しておるのじゃ。」
と、言った。
すると、血の気の多い若武者が、
「ならば今すぐにあの山を攻めて取り替えそうではないか。」
と、声をあげた。
「落ち着け、攻めれば安芸は本気で軍勢を送ってこよう。敵はそれも狙っておる。」
と、真武が諭した。
「何ゆえ、安芸は攻める気もなく、我らを脅しておるのじゃ。」
と、若武者は訊ねた。
その問いに、真武は答えるかどうか迷った。
それは、この家の何者かが安芸に家中の騒動を伝えたに違いないからである。
無論、下手人の見当はついている。
「我らの動きを見ておるのじゃ。国虎が中原を掌にせんと我らに揺さぶりを駆けてのことじゃ。我らが降参するとなれば、味方の兵は無傷ですむ。それが狙いじゃ。」
と、真武は若武者を上手く言いくるめながら、心中急くものがあった。
その時が来るのは、あの山に城が建った時である。
その時までに真武は家中の意見を長宗我部派にまとめなければならない。
しかし、これほどまでにあからさまに威嚇されては、若い家老の力一つでは二百余名の家臣を抱えるこの家をどうすることもできなかった。

案の定、安芸方は月見山に巨大な城を拵えた。
海辺まで延びる尾根は途中幾重にも堀で区切られ、山頂には大きな郭を設けていた。
そこに立つ櫓は天を刺すかのように高くずっしりとして、朝倉城に勝るとも劣らない、異様なものであった。
これが土佐一の巨城と吟われた、岸本城である。
この城に安芸の猛将、姫倉右京が入り、城の名は姫倉城とも言った。
度肝を抜かれた香宗我部の家臣どもは、次第に安芸派優勢へと変わり、真武は窮地に立たされることとなったのである。

無論、覚世や周孝はこの様子を村田八郎左衛門から伝え聞いてはいたが、これといって動くことはなかった。
「安芸の国虎なる者は、若う御座いますな。」
と、周孝は白い碁石を碁盤の隅に打った。
「ん、ん。」
覚世は負けじと黒い碁石をその横に打った。
「聞こえておりませぬな。ではもう一度、国虎は若う御座いますな。」
と、周孝は黒い石の内側に白い石を置いた。
覚世は頭をかきむしりながら、碁石を升目の対角線上に打つと、周孝は行く手を阻むかのように石を並べ、気付けば覚世の石は周孝白い石にぐるりと取り囲まれていた。
「くっそう、さては隅に置いた石は誘い石であったか。」
覚世は周孝にまんまとやられて音を上げた。
「それより覚世殿、国虎は若う御座いますな。」
「岸本の城のことじゃな。若いのう。」
と、覚世はさっきまでの様子とはまるで別人のように落ち着き払って答えた。
「そもそも城は落とされるもの。そのようなものを敵の目の前に晒されては、誰が攻められているのかわかりませぬ。」
と、周孝は言った。
覚世は碁盤の石を一つ一つ取りながら手順を確認し、
「そうじゃな。こけ脅せば嫌う者はより嫌うことになろう。此度の戦は誰が城なのかを知らねばならぬな。」
と、呟いた。
覚世も周孝も、八郎左衛門からの知らせで、この見えない戦の鍵を握る者は誰かを十分に見定めていた。
「そうで御座いますな。人とは好きでのうても嫌いでなければ、大して考えもせずに時の流れ、世の流れに靡いてしまうものでございまする。」
と、周孝は言った。
「無分別にのう。」
「無分別にですな。」
「故に人とは怖いのう。」
「左様ですなあ。」

それから暫くのことであった。
その鍵を握る者、いや、最も安芸を嫌う者が、窮地に立つ池内真武ら長宗我部派を呼び寄せた。