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天20章 朝倉見聞(その一) [天海山河]

年には、所謂、当たりと外れがある。
それはひとえに良き時を当たり、悪しき時を外れと言うが、歴史においてはそうでない。
むしろ、波乱に満ちている方が前者であり、平穏無事こそ外れである。
天文から永禄にかけて、西暦で言えば一五五〇年代がまさに当たりの時節であっただろう。

それは旧勢力の最盛と終焉、新勢力の誕生と台頭であった。

中央では細川管領の崩壊と三好長慶の実権掌握、東国では甲相駿三国同盟の締結、そして西国では大内氏の滅亡と毛利氏の台頭。
奇しくも、後に長宗我部氏と因縁浅からぬ男が史上にその名を刻んだのもこの時期である。
時を同じくして、長宗我部氏もこの男と交差すべく走りはじめたのである。

その矢先、とんでもない知らせが岡豊にもたらされた。
覚世が書状をしたためていると、
「国親様、大変にございます。」
と、昇田新右衛門が飛び込んで来た。
覚世はちらりと新右衛門を一瞥した。
「新右衛門、わしはもう国親ではない、瑞応覚世じゃ。」
「申し訳ござりませぬ。覚世様。」
「神妙に致すな。ところで、何があったというのじゃ。」
と、覚世が訊ねた。
「実は、けさのこと、梅慶殿が亡くなられたようにござりまする。」
と、新右衛門は答えた。
「何、まことか。」
「まことのようにござりまする。」
「ようでは合点がゆかぬではないか、はっきりせい。」
「は、まことにござります。」

国親が入道してしばらくたった頃、朝倉城では奇妙なことが起きていた。
ある朝、本山梅慶が庭に出てみると、大樹の梢に年頃は十七、八の艶かしい女が声を上げるともなく、こちらを見て笑っていた。
「さてはあやかし女か。誰か弓を持て。」
と、梅慶は家来が持ってきた弓に矢をつがえて、女めがけて打ち放った。
すると、女はすうっと消え失せ、天にからからと笑い声を上げて、朝倉宮のほうへ飛び去ってしまった。
朝倉宮は朝倉城の北にあり、今日も土讃線朝倉駅の北にある。
今の姿は山内二代目藩主忠義によって改修され、朱塗りの楼閣となった絢爛豪華な造りとなっているが、この社こそ、長宗我部元秀が生前最後に修築したものであった。
その日から、朝倉城では奇妙なことが立て続けに起きたのである。
ある日、城の大手にあった杉の巨木が、根元より火が起こり辺りの木々に燃え移った。
城兵は各々熊手、水桶を持って周章てて駆けつけると、それは火ではなく木の枝々から流れ出た血であった。
また、ある夜のこと、
女の声がして、数百人ほどのお囃子が聞こえた。
宿直の侍が外を覗くと、灯りはおろか、人の影すら見えない。
空耳かと再び横になっていると、また、微かに聞こえる。
耳を澄ましていると、
「本山はまた本山に成る。」
と、囃し立ててあるではないか。
「何ものぞ。」
と、窓を開けると、やはり人の姿はない。月影だけがゆらりと影を写していた。
その次の夜、
「攻めよ。 南無八幡大菩薩。」
と、大音声を上げて敵が攻めてきた。
奇襲に驚いた本山の城兵が外を見ると、松明はおろか、敵の兵など一人もいない。
城兵はぞっとして、
「このこと、殿様のお耳に入れるべきではないか。」
と、仲間の者に相談したところ、
「馬鹿を言え。もののけが出たと騒いだら、反ってわしらがひどい目にあうぞ。」
と、忠告した。
しかし、また次の夜、
「渡れ、渡れ。」
と、男の声が響き、四、五十人の男どもが押し寄せてきたが、城門の前でぱたりと足音を止め、
「本山はまた本山に成る。」
と、声がして、ふっと気配が消えた。
さすがの梅慶もその噂を耳にして、
「もののけが何ゆえ我が家を祟らんとするや。すぐに円行寺において大般若経を真読いたせ。」
と、朝倉の北東、二里にある円行寺の住職に使いを飛ばした。
円行寺は土佐有数の名刹である。梅慶も深く帰依して、十数棟の伽藍を備え、壁には色とりどりの絵が施され、境内は七、八町(八百メートル)にも及び、西の金剛福寺、東の最御崎寺に並ぶ大伽藍であった。
「梅慶様の申し出ならばすぐに致そう。」
住職は数百もの門弟を集い、仏前に向かうと、勤行を執り行った。
すると、一匹の大きな老鼠が現れた。
老鼠は長い髭を蓄え、しっぽの先にふさふさとした毛を付けていた。
僧侶一同が唖然としてその異様を眺めていると、老鼠は燈明の油に飛び込み、尾に火を付けると、本堂の棟木に駆け上がった。
火は瞬く間に燃え広がり、僧侶たちは周章てて火を消そうと躍起になったが、猛火は本堂を覆い尽くし、あちらこちらに飛び火したのである。
住職は、
「これは自滅の時節の到来か。人力の及ぶところにあらず。経巻、寺物、一つも出すべからず。そのまま焼き捨てよ。」
と、言い付けると、やっとのことで運び出した本尊の薬師如来像を門弟に背負わせ、朝倉へ向かった。
火は一昼夜境内を焼き尽くして、かの大伽藍を誇った円行寺は一棟も残さず灰塵と化した。
それを聞いた梅慶は大いに驚き、
「このこと他言無用。もしある者は成敗いたせ。」
と、家臣に命じた。




天20章 朝倉見聞(その二) [天海山河]

ところが、弘治二年の夏、梅慶は病に伏した。
次第に体は衰え、快復の兆しもない。
その頃、城下ではある噂がささやかれていた。

村の辻で三人の男がひそひそと立ち話をしている。
「これは吉良の祟りではないか。」
「いや、長宗我部の祟りじゃ。」
「いやいや、これは吉良、長宗我部が崇めておった天津羽羽神の祟りじゃ。先年、お殿様はその御神木をお切りになられたからのう。」

天津羽羽神とはもののけが飛んでいった朝倉宮の神体である。
梅慶は吉良氏を滅ぼして間もない頃、朝倉宮の宮林の木を伐らせたのである。
それを神主が、
「ご神木をお切りになろうとは、いかがなものか。」
と、とがめると、梅慶は、
「これ程繁りたる林を少々切ったところで、何のことがあろうか。そもそも、貴殿らの訴えは神の惜しみたるところにあらず。そなたらの私利私欲なり。たとえ神が惜しみなろうとも、梅慶はここの領主なり。少しのことならば、お許しになるであろう。」
と、嘲笑った。
この様子に神主は、
「あな恐ろしや。この社は天智帝の頃よりおわします鎮守の社なり。当国二十一社のその一つなれば、そのご威光をも恐れぬとは、驕る者の所業のあさましさよ。」
と、呟いた。

「まっことそうに違いない。宮の祟りよ。お殿様も吉良、長宗我部に勝って、ついつい気が大きくなられたに違いない。くわばらくわばら。」
「し、そのような大きな声を出すではない。もし、城の者に見られたら、我らがくわばらじゃ。」
と、こんな噂があちらこちらでささやかれたのである。

ある日、梅慶は嫡男式部少輔茂辰を枕元に呼んだ。
「よいか茂辰、わしは近々あの世に行く。その前にそなたに言い遺すことがある。」
と、梅慶は息をつぎながら、やっとの思いで声を出した。
茂辰は首を横にふった。
「父上、何を申されまする。」
梅慶は、微かに笑い、
「もはや、薬効も祈祷も尽き果てたわ。」
と、返した。
茂辰が梅慶の手をとると、梅慶は強く握り返し、
「よいか、決して長宗我部に心を許してはならぬぞ。あとのことは(長)越前と(吉井)修理に聞け。」
と、言うと、息を引き取った。
季節はコオロギの音が草葉の陰に心地よく鳴り響く頃であった。

「そうであったか。急なことで何も知らなんだ。」
覚世はおもむろに立ち上がり、縁側に出た。
西の空は紅に染まっている。
「ことが漏れぬよう目を光らせていたようにございます。」
と、昇田新右衛門は言った。
「そうか、わしにとって梅慶殿は偉大であった。家中をその手腕のみでまとめ、御所と張り合ったほどじゃからのう。今のわしでは到底出来ぬ。そうじゃ、慰問の使者を立てねばのう。新右衛門、行ってくれぬか。」
「わたしがでございまするか。」
「そうじゃ、誰がおる。いまや(吉田)備中や大備後では相手に怪しまれよう。それに宗桃は外様。後は若い者ばかり、そなたしか適当な者がおらぬ。行ってくれるな。」
と、覚世は笑顔で詰め寄った。
「しょ、承知つかまつりました。」
と、新右衛門はしぶしぶ頷いた。
「よし、あと書状を娘の局に渡してくれ。」
と、覚世は手紙を認め、新右衛門に手渡した。
「お局様にでございまするか。」
「そうじゃ、頼んだぞ。」
そう言うと、覚世は新右衛門を朝倉城へと向かわせたのである。


天20章 朝倉見聞(その三) [天海山河]

弘治元(一五五五)年秋、本山式部少輔茂辰は父、梅慶の遺業を継いで土佐中原の平定を目指した。
その前に、茂辰にとって最大の懸案であったのは、吉良氏の残党が立て籠る森山城の攻略であった。
森山勢は幾度となく城を奪われつつも取り返し、一条氏の麾下となって、城の周りに幾重にも堀や逆茂木を廻らして、本山氏の攻撃に十年もの間、しぶとく耐えてきたのである。
茂辰はこの城を落とすべく、家老長越前に訊ねた。
「越前、わしは森山に明日にでも大軍を差し向けて、成敗致すつもりじゃ。そこで、貴殿の存念を聞きたい。」
越前は本山氏に使えて茂辰が三代目になる。いまでは、家中の最長老であった。
若き頃には養明から知略を学び、壮年には梅慶のもとでその敏腕を振い、それぞれの長短を垣間見てきた男には、主の格を臭い分ける術を得ていた。
茂辰もまた養明、梅慶に劣らず、頭の切れる勇敢な武将であることは越前の認めるところである。しかし、養明や梅慶のようにじっくりと構えた所がないと、感じていた。
越前は、
「恐れながら、茂辰様、ことを軽々に運んではなりませぬ。これ寡を見て、衆を悟らざるが如し。」
と、辛口に茂辰の策を評した。
それはまた、茂辰に対する一種のブラフを含んだ返答でもあった。
「なに、わしの案に何ぞ触りでもあるか。」
と、茂辰は周章てて問い返した。
越前は心の底で大きくため息をついた。
「恐れながら、この越前の無礼、お許し下されませ。某が知りたかったのは、今の茂辰様の腹の底でござりまする。」
「わしの腹の底じゃと。」
「はい、人の腹の底には虫がござりまする。その虫は人の言葉のなかにある臭いを発します。つまり、器にございます。」
と、越前は答えた。
「いったい、その虫は何と言っておるのじゃ。」
茂辰はやや立腹した様子で訊ねた。
「恐れながら、もし梅慶様であれば、某の今の言葉など問いただすことはござりますまい。その鉄の意思にて突き進みましょう。また、御祖父養明様の意思には万全たる策略が裏付けされておりました。どちらも揺るがぬ心がござりました。」
と、越前は梅慶を剛、養明を柔と評して答えた。
「つまり、そなたのはったりに、わしは惑わされたということか。」
と、茂辰は心の弱さを悟った。
「無論、今の某は殿にとっての森山と同じく、寡にございます。」
と、越前は自らを準えた。
「なるほど、そなたの言葉尻が寡で、その心底こそが衆というわけか。」
と、茂辰は越前の謙遜を讃えた。
「ご諚たまわり、恐れ入るところにござります。加えて、寡を見て衆を悟るとは、某が若き頃、養明様より頂戴いたした言葉にござりまする。」
と、越前は頭をたれた。
「して、そなたの申すわしの衆とは何ぞや。」
「長宗我部にございます。」
と、越前は即答した。
「覚世殿か。」
「左様。もし、大軍を持って森山を攻めれば、彼の城は堅城。攻めあぐみでもいたせば、長宗我部はここぞとばかりにこの朝倉に攻め寄せて参りましょう。」
「なるほど。しかし、わしと覚世殿とは義理の親子。我が子は血を分けし孫ではないか。今さら我らを攻めて何とする。」
と、茂辰は疑問を呈した。
茂辰は長宗我部氏との婚儀が決まったとき、まだ幼かったため、覚世のことをよく知らない。
「これはお家とお家の面子にございましょう。覚世が父は殿が祖父養明様によって自害いたし、自らも家臣に皮籠に囲われて逃れ、一条のもとで十年も隠匿の身に伏しておったのでございます。かねてより、御当家に復讐を誓っていたところ、一条の仲立ちにより縁組みと相成り、今に至っておりますが、覚世の恨みは消えておりますまい。」
と、越前はこれまでの経緯を話した。
「義父殿にそのようなことがあったのか。」
茂辰は覚世のことがやや不憫に思えた。
「茂辰様、たとえ覚世の過去に不遇があったとて、我らの首を狙う者、決して心を許してはなりませぬぞ。」
と、越前は忠告した。
「相分かった。しかし、森山のことは放ってはおけぬ。如何したらよい。」
「ここは長宗我部に援軍を頼まれるのが良策にござりましょう。あくまで長宗我部は我らの与力。ましてや婿の願いを断ることは出来ますまい。もし、断るとあればその時こそ、大軍をもって岡豊を攻めるべきにござりまする。」
と、越前は進言した。
「越前はさすがに長宗我部に厳しいな。」
「ゆめゆめ心を許さぬよう、越前、伏してお願い申し上げまする。」
「承知いたした。」
と、茂辰は応えた。

そんな折、岡豊から慰問の使者として、昇田新右衛門が現れた。
越前は、
「ちょうどよい時に、岡豊のわっぱがやって来たか。」
と、小躍りして悦んだ。


天20章 朝倉見聞 (その四) [天海山河]

朝倉城は梅慶がその威信をかけただけあって、まさに圧巻の城である。
城山は東西に七町(700m)、南北に五町(500m)と、後に山内一豊が普請した高知城の三倍にもなる 。また、比高(麓からの高さ)は岡豊山のそれとさほど変わりがないが、何せ奥に深く、頂から見下ろす本丸はずっしりとした感を与える。
この城の入口は南にあった。
そのまわりには鵜来巣城をはじめとした支城が三つも立ち並び、攻め寄せても、到底ここからは攻めようがない。だからと言って、東の急斜面を駆け上がろうとしても、山肌には竪堀がいく筋も掘られ、ぐるりと廻らされた横堀と交差して、攻め寄る者の士気を挫く。
廃城となった今日でもその遺構を堂々と留めているのだから、その圧巻ぶりが知れよう。

ー堀も深い。ー
昇田新右衛門は堀にかかる橋を渡り、大手門を抜けた。
二の門、三の門を抜け、詰門に差し掛かると、山肌を削った空堀の間に門へと続く土橋が真っ直ぐ伸びていた。
「よくもまあ、これ程のものを作ったものよ。」
新右衛門はきょろきょろと辺りを見回し、人のわざとは思えぬこの城を、如何にして覚世に伝えればよいものかと思いやられた。
「ほう、これは昇田殿、お久しぶりでござるな。」
と、不意に声を掛けられた。
声のほうを見れば、長越前が詰門の向こうに立っていた。
新右衛門はこの男が大の苦手である。
「これは長殿、わざわざかようなところにお出迎えにござらぬとも。」
「わはっはは、何を申す。ここは我らの城の中じゃぞ。それともわしがもう老いぼれておるとでも思われたか。それは残念じゃったのう。生憎、この通りの健脚じゃ。」
と、越前は腿を叩いて、からかった。
「決して左様な存念はござりませぬが、長殿ほどのお方が某ごときのために直々にお出迎えなさらずともと、思うたのでござりまする。」
と、新右衛門は返した。
「なあに、たまたま通りかかっただけのことよ。折角じゃ、殿のところへ案内致そう。ついて参れ。」
と、越前は新右衛門を本丸屋敷へと誘った。

本山茂辰と対面した新右衛門は弔意を述べた。
「名代、大儀である。この式部少、舅殿の心遣い、痛み入る。後日、こちらより御礼致そう。」
と、茂辰は返答した。
新右衛門は、
「恐れながら、わざわざ格別なる御礼には及びませぬ。我が主はひとえに姫様のご様子を伺っておりまする。是非、ご面会、お許しいただけませぬか。」
と、申し出た。
「何ゆえ、それほどに舅殿は我が妻の様子など知りたいのじゃ。」
と、茂辰は聞き返した。
「実は先年、主、覚世は病を得て臥せり、向後の悔いを残さぬようにと、姫様の息災を訊ねておりまする。」
と、新右衛門は咄嗟に嘘をついた。
すると、傍らにいた越前が、
「昇田殿、それは嘘ではないのう。」
と、口を差し挟んだ。
「滅相もござりませぬ。」
と、新右衛門はその場を繕った。
無論、疑り深い越前は容易に信じるような男ではない。しかし、この時、越前の目を狂わせたのは七十を越えた己の齢だったかもしれない。
ー覚世も五十を過ぎて、斯くあらん。ー
そんな思いが、越前の興味を単に覚世の健康問題に引き寄せてしまった。
「ほう。これは失礼致した。」
と、越前はあっさり引き下がった。
「お許しいただけませぬか。」
と、新右衛門は改めて懇願した。
「相分かった。目通りを許そう。」
と、茂辰は面会を許した。

新右衛門は覚世の娘、阿都と面会した。
阿都には岡豊からついてきたお局が付き添っていた。
新右衛門は早々に阿都へ挨拶を済ませると、お局に覚世から預かってきた手紙を手渡した。
お局はその手紙を読むと、
「貴殿の母君、危篤 」
と、のみ書かれてあった。
お局は、こくりと頷き、
「昇田様、岡豊にお戻りになった際は入道様に、相分かり候う、とお伝えくださりませ。」
と、言った。

翌日、お局は暇乞いして、岡豊へと向かった。


天20章 朝倉見聞 (その五) [天海山河]

歴史とは、女が創るものかもしれない。
名のある男の陰には必ず女の姿がある。
藤原道長には姉詮子、源頼朝には北条政子、足利義政には日野富子、今川義元には母寿桂尼、武田信玄には諏方御料人、三好義賢には小少将、織田信長には妹お市、豊臣秀吉にはお祢と淀殿といったように。
名のあるなしに関わらず、その中には時に政略の道具として悲運の生涯を遂げる者もいれば、方や歴史の表舞台に立つ者、はたまたその才覚で男を操る者もいれば、その美貌ゆえに男を狂わす者もいる。
とかく、歴史は女性が紡いで来たものとも言えるだろう。
長宗我部氏にもまた、多くの女性の姿があった。
お局もその一人である。
このお局、年頃は覚世と同じほどで、名の子細は分からない。
しかし、たいそう利口な人物であったことは間違いない。
覚世はこのお局の才覚を見込んで、娘の側に置いたのである。
「お呼びでございましょうや。」
お局は兼序寺で覚世と会った。
覚世はお局の髪に白いものが混じったのを見て、微笑んだ。
おおよそ三十年振りの再会である。
「来ると思っておったぞ。」
覚世は、すこぶる機嫌がよい。
「あれ、ご気分が優れぬと聞き及んでおりましたが。」
と、お局は戯れた。
「はて、左様のこと誰が申した。」
「式部少殿が昇田殿から聞かれたと。」
お局は承知の上でそう言った。
「わはっはっは。」
覚世は腹の底が破けるかの思いであった。
「そうか、新右衛門がか。どうせ詰問されて苦し紛れに申したのであろう。そうとも、わしは気分が優れぬ。」
と、覚世は病を装って、戯れた。
「ところで、大殿様、何のご相談でございましょう。」
と、お局は訊ねた。
「実はな、梅慶が亡くなった今、この目で朝倉の様子を見たいのじゃ。」
と、覚世は言った。
「まあ、自ら城に潜入なさるのですか。しかし、昨日昇田殿に探らさせたのではございませぬか。」
「無論、探らせたとも。しかし、城の縄張りだけじゃ。わしが次に知りたいのは家中の将の器量よ。そこで、そなたには家中の者の扶持を調べてもらいたい。」
「それはお易いご用にございます。しかし、如何にして城に入られるのです。」
と、お局は訊ねた。
「そうじゃ、そこじゃ。わしもそれで悩んでおる。野菜売りにでも化けて入ろうかと思うたが、新右衛門の話では城に関所が多く、ばれれば危ういと聞く。如何にしたらよいものか。」
と、覚世は頭を抱えた。
するとお局がふと思い付いた。
「大殿様、こうしては如何にございましょう。」
と、お局は覚世の耳元でごにゃらごにゃらと囁いた。
覚世は、ぽんと手を叩いた。
「なるほど、それがよい。よし、さっそく朝倉に戻って、段取りをしてくれ。」
「畏まりて候う。」
お局はそう言うと、そそくさと朝倉へ帰っていった。

一方、覚世は祥鳳のもとに向かった。
祥鳳は出家していたが、まだ城のなかで暮らしていた。
覚世は祥鳳の寝所に入るやいなや、
「祥よ、聞いてくれ。」
と、声をかけた。
「あなた様、どうなさいました。そんなに嬉しそうな声をお上げになられて。」
と、祥鳳は返した。
「驚くな。そなた、以前に阿都に会いたいと申しておったな。」
「ええ。」
「実はな、それが叶うかもしれぬのじゃ。」
「まあ、なんと嬉しいことでしょう。」
「阿都に付けておった侍女が、取り計らってくれるかもしれぬのじゃ。」
「それはなんとありがたいことでございましょう。」
「ああ、これは不用意に公言してはならぬぞ。まだ決まったわけでもないからのう。もし、不用意に話が漏れれば、露消えとなろう。このことは今はわしとそなたに侍女しか知り得ぬ秘密じゃ。後に侍女の口から茂辰殿にのみ相談することになろうがのう。」
「左様でございますか。」
「そこで、わしもそなたと一緒に朝倉に参る。」
「え。それは危のうはござりませぬか。」
「勿論、変装して行くのじゃ。」
「まあ、手の込むことをなさるのですね。一体何に変装なさるのですか。」
と、祥鳳は訊ねた。
覚世は、
「それはまだ秘密じゃ。その日になってのお楽しみ。」
と、鼻を擦った。
「私に秘密とは、お人が悪いですね。」
祥鳳は覚世の得意顔を揶揄してやった。
覚世は寝所を後にすると、ふと自分がひどい男に思えてきた。
ー娘やお局に対し然り、そして祥鳳に対しても然り。ー
覚世は城の坂道を降りながら呟いた。
「ああ、俺はなんてひどい男なんだ。」
覚世、一世一代の大芝居はすべて女を利用したものであった。
寺にもどると、 昇田新右衛門を呼び、
「新右衛門、紅と白粉を買ってきてくれ。」
と、お使いを頼んだ。
新右衛門は、
「は、…。」
と、目を丸くした。


天20章 朝倉見聞 (その六) [天海山河]

斯くして、出立の準備は整った。
朝倉で覚世がやって来るのを知る者は、本山茂辰と御台所の侍女たちのみである。
長越前やその他の家臣どもは全く知らないのだ。
お局は茂辰に、
「昨日、岡豊に参って、奥方様に御台所様のご様子を語ったところ、こちらに出向いてでも御台所様のお顔を見たいと申しておりますが如何にございましょう。御台所様は生まれて間もなくこちらに来られた故、産みの母の心をおもんばかるに、この局とて誠に痛わく存じ候う。」
と、さめざめと涙をこぼし、袖で拭った。
越前から心許すなと、あれほど忠告されていた茂辰であったが、さすがにこたびは情にほだされて、
「仕方あるまい。承知した。」
と、あっさり応じた。
「ところで、覚世様も是非見たいと申しておりました。」
と、お局は言った。
茂辰は驚いて、
「さすがにそれは難しい。家臣どもがなんと言うか。」
と、越前の顔を思い浮かべた。
「その心配には及びませぬ。覚世様も気を配られて、忍んで参るとのこと。その折にはお殿様との親睦をはかりたいと申しておりました。」
「それは一行に紛れてやって来ると言うのか。」
「はい。お供の衆は先日の昇田殿を含めて籠担ぎだけとのこと。それ以外のお供はつれて参らぬと申しておりました。」
「これは思い切った申し出かな。それほどまで覚世殿はこのわしを信頼してくれておるのか。相分かった。家中の者には知られぬよう内々に取り計らってくれ。」
と、茂辰はお局に迎えの支度を命じたのである。

さて、期日の朝、岡豊城では祥鳳が覚世がいったい何に扮してやって来るのか、今か今かと待っていた。
「待たせたな。」
不意に後ろ手から覚世の声がした。
振り返ると、呆気にとられた。
そこには白粉に紅をさした覚世が亜麻色の衣を羽織って立っていた。
「まあ、なんてことでしょう。女に化けるなんて。」
「どうじゃ。驚いたか。」
と、覚世は笑った。
「笑うと白粉がとれますよ。」
祥鳳は笑いたい気持ちをぐっと堪えた。
「そうか、それはゆかぬな。では、白粉が落ちぬ前にさっさと朝倉に参るか。」
覚世は祥鳳と相輿して岡豊を立った。
一行は先の如く、覚世のほか籠担ぎと新右衛門を除いて女ばかりの一団であった。
新右衛門を先頭に侍女十数名が二列になって付き従う、実に物見遊山な風体の女行列である。
輿の中では、祥鳳が覚世の顔を見て、
「それにしても、まあ、お色の白いこと。 」
と、からかった。
「幸い、このところ戦がのうて、白くなったわ。」
と、覚世が返した。
「まあ、負けず嫌いなこと。」
と、祥鳳は声を弾ませた。
「これこれ、外に聞こえるではないか。」
覚世はふと、己はひどい男ではないような気がしてきた。
すると、外から、
「もうすぐ鴨部の渡しになりますぞ。」
と、新右衛門の声がした。
そこからは朝倉の城下になる。
すでに辺りは秦泉寺、大高坂(おおたかさ)、井口など本山方の支城に囲まれている。
一行はまさに敵の真っ只中をしずしずと進んでいるのである。

天20章 朝倉見聞 (その七) [天海山河]

一行が川を渡り終えると、土手の向こうから五人の男が現れた。
先を行く男は侍であろう。腰に太刀を佩用している。
「これは岡豊のお方衆、ご足労でございましたな。これより我が人足が籠をおかきいたそう。」
男は愛想よくそう言った。
新右衛門はそのような話は聞いていない。
新右衛門は、機転を利かせ、
「いやいや、それには及びませぬ。先を行って道案内してくだされ。」
と、断った。
すると、男は、
「それでは主にしかられまする。」
と、答えた。
新右衛門はとっさに訊ねた。
「貴殿の直々の主殿は、式部少輔殿か。」
「いや、吉井修理殿の家臣某でござる。」
と、答えた。
吉井修理と言えば、その名を知らぬ者はいない本山の豪傑である。
ー目の前の男が吉井修理でなくてよかった。修理であったならば、このようなぼろは出すまい。ー
新右衛門はほっと胸を撫で下ろし、
「左様でござるか。されどまったくご無用でござる。奥方様は流行りの病にかかられておる。我らは幸い、その病から治った者、もうかかる心配はないが、方々に移っては大変にござる。ささ、先を進んで下され。」
と、嘘をついた。
籠の中では祥鳳が覚世に振り返った。
とっさに覚世は祥鳳の口を塞ぎ、咳払いした。
すると、本山の人足どもは後退りした。
「そうか、それは大変なことじゃ。我らは先を行くといたそう。」
男と人足どもは先頭に立って、一行を朝倉城へと案内した。
一行は搦め手から城に入った。
覚世は籠の小窓を少しずらし、外の様子を窺った。
新右衛門の言う通り、筆舌しがたい巨大な城である。
曲輪ごとに櫓が立ち並び、多くの城詰めの兵がせわしく動き、その武具も立派である。
一行はその間を抜け、覚世と祥鳳は無事に本丸御殿の中に入った。
しばらくすると、到着を聞き付けた本山茂辰が挨拶にやって来た。
「これは岡豊殿、本来ならば婿のこちらから伺うところ、わざわざお越しいただき、かたじけのう存ずる。今日はお疲れにござりましょう。ゆっくりお休みになられ、明日には能をご覧に入れましょう。」
と、言って、酒肴を用意して饗応した。

次の夜、御殿の庭先に即興の舞台が拵えられ、能がもようされた。
舞台の回りには本山家臣の席が設けられ、茂辰は広間の縁側に席を構え、覚世と祥鳳の席はその少し奥、広間の中程に簾が下ろされた一角であった。
外からはこちらの様子は見えないよう、茂辰が配慮したのである。
覚世は能見物はそこそこに、あのお局をそばに呼び、本山の家臣どもを一人一人指差して、
「あれは誰ぞ。」
と、訊ねては、懐に隠してあった紙と硯を取り出して、その名前と扶持を書き留めた。
そうとは知らない茂辰は、能が終わると覚世に近寄り、
「今宵は如何にござりましたか。明日は鷹狩り、明後日には相撲を用意しております。」
と、言った。
覚世は、
「いやはや、さすがは婿殿。今宵は十分に堪能いたした。されど、わしもこの通りの老いぼれ、鷹狩りはご遠慮いたそう。もしよろしければ、明日は相撲にしてはくれぬか。実はわしがこちらに居ることは僅かな者しか知らぬ。そろそろ岡豊も騒がしくなっておるかもしれぬでな。」
と、返した。
「左様でございましたか。では明日は相撲といたしましょう。」
茂辰はそう言うと、家来に命じた。
「これはありがたい。」
覚世は礼を述べると、寝所に入っていった。


天20章 朝倉見聞 (その八) [天海山河]

明くる日、西曲輪の弓場では大きな幕が張られ、笛、太鼓の音が城中に鳴り響いた。
城下からは力自慢の猛者どもが触を聞いて相集い、本山家中の強者も津々浦々から参上して、東西分かれて互いに睨みあった。
覚世の席は弓場庵の座敷の軒下に設けられ、麻の蚊帳で面隠しがされていた。
覚世は薄手の衣を頭からかぶり、席に着くと、また昨夜と同じようにお局に訊ねては、本山家臣の素性を一人一人書き留めた。
その中に、覚世が手を止めて目を見張った者がいた。
その男は相手をいとも簡単に次から次へと打ち負かして行くではないか。
覚世は、
「あの者はいかなる者ぞ。」
と、お局に訊ねた。
お局は覚世の耳元で、
「あれは吉井修理殿にございます。これより北の行川村の領主にございます。」
と、答えた。
ーあれが吉井修理か。ー
覚世は一昨日のことを思い出した。
よく見れば、三十そこそこの風貌であるが、きりっとした目鼻立ちに、眼光鋭い眼差しが獲物を狙う鷲のようである。
「扶持はどれほどぞ。」
「一千貫にございます。」
「何、これは大したものだな。」
この頃の長宗我部家中にそれほどの大身はいない。
「はい、家中一の侍大将にて、直臣だけでも百人、戦場にては千騎、万騎は操れるとのお噂にございます。」
と、お局は囁いた。
覚世はそれをしっかと紙に書き留めた。
すると、相撲会の最中にも関わらず、茂辰が席を立ち、こちらへとやって来た。
覚世はそっと紙と硯を袖の下に隠し、枕に頬杖を立てて、何くわぬ顔をした。
「岡豊殿、如何にござるか。」
と、茂辰はご機嫌伺いをした。
「なかなかでござる。」
と、覚世はすこぶる良い振りをした。
それを聞いて喜んでか、茂辰は、
「左様でございますか。それは安堵いたしました。実は折り入ってお頼み事がござりますが、宜しゅうござるか。」
と、神妙に訊ねた。
覚世は少々厄介な事であろうと察したが、むげに断るのも考えものである。
快い顔をして、
「婿殿の折り入っての願いとあらば、お伺いいたそう。」
と、答えた。
茂辰は頬を緩ませ、
「実は、大平権頭殿を当方で預かっておりまする。」
と、言った。
「何と、大平殿は一条殿の下に置かれていたのではないか。」
と、覚世は訊ねた。
「はい。しかし数日前、戸波の積善寺を脱け出し、当方に身を寄せておりまする。」
と、茂辰は答えた。
「左様であったか。」
この事ばかりは、覚世にも初耳であった。
茂辰は、
「そこでこのたび、大平の旧臣どもを集い、再び蓮池を取り戻さんと思うておりますが、その前に森山には一条の兵が詰めておりまする。それを討たぬことには蓮池には攻めいれませぬ。是非、岡豊殿にご加勢いただきたい。」
と、懇願した。
きっと長越前の入れ知恵であろう。覚世にとっては降って湧いた災難である。
覚世は今、物部川の上流、韮生郷の平定を進めている最中である。その上、一条氏をこれ以上怒らせては、覚世もどうなるか分からない。
一条氏と同盟する安芸氏がこれを良い口実に東から攻め入るやもしれぬ。いや、それより調略を進めている久保宗安ら山田氏の旧臣が一条氏と同盟し、糾合して、息を吹き返すやもしれぬ。
覚世は答えに窮する中、妙案が浮かんだ。
「承知いたした。」
と、覚世は応えた。
「誠にござるか。」
と、茂辰が問うと、覚世は、
「婿殿がお困りとあらば、断る理由はない。森山のことは、この覚世にお任せくだされ。我が兵を差し向け、城を取って、婿殿への手土産といたそう。」
と、答えた。
茂辰は喜び、
「これは心強い。当方からも兵を差し向けましょう。」
と、言うと、覚世は横に首を振り、
「いやいや、結構にござる。蓮池を攻めねばならぬなら、兵を無駄にしてはなりませぬ。我が方のみの兵で十分にござる。」
と、返答した。
「それはありがたい。」
茂辰は悦喜して席に戻ると、相撲観戦を続けた。
覚世も紙と硯を取り出すと、 また、お局に訊ねては諸将の素性を記した。

天20章 朝倉見聞 (その九) [天海山河]

この時代、相撲会は単なる余興ではない。
古くは飛鳥の頃より神事で執り行われてきたが、武家が力を持った鎌倉時代以降、家臣の力量を計る一つの指標として、各地の大名、豪族が期日を決めて催されていたのである。
殊に土佐は、相撲会の盛んなことで知られた土地柄であった。
国衆は相撲会と聞けば、津々浦々、領境など何のその、道場破りは当たり前と、ばかりに寄り集まった。
「吉井殿、二十人抜き。」
行司が高らかに勝ち名を呼び上げた。
「修理、見事じゃ。義母上の御前、当家の面目を施したこともある。褒美を取らせよう。望みを申せ。」
と、茂辰が訊ねた。
修理は、
「恐れながら、某はすでに高禄を給り、望む物はござりませぬ。されど、ただ一つ、そちらの蚊帳の奥に居られる御客人のお顔を拝見いたしたく存ずる。宜しくば、蚊帳をお揚げ頂けませぬか。」
と、言った。
ーこやつ。ー
覚世は額に汗がにじみ出た。
鴨部のことといい、己が来ることをいつ察したのか気に懸かった。
茂辰が答えに窮していると、
「修理殿、それは僭越と言うものですぞ。お控えなされ。」
と、茂辰の側近の者が制した。
「これは申し訳ござりませぬ。」
と、修理は引き下がった。
ーこのわしが、二度も同じ男に冷や汗をかかされるとはな。ー
覚世は紙と硯を懐の奥にしまい込んだ 。

翌朝、覚世と祥鳳は朝倉城を立った。
城門には、茂辰自らが見送りに出て、
「もうお帰りになられるとは、残念でござる。」
と、 別れを惜しんだ。

覚世が岡豊に帰ると、城は騒然としていた。
家臣どもが覚世の不在に気づいて、騒ぎはじめていたのである。
極秘に進めていたため、覚世が朝倉にいることを知っていた者は僅かである。
覚世はすぐに城の広間に家臣を呼び集めた。
事情を知る重臣の久武則義が、
「我ら薄氷を踏むが心地しましたぞ。何よりご無事でようござりました。以後、このようなことはお控え下され。」
と、言った。
そうとは知らぬ者たちは初めて知って、大いに驚いた。
覚世は苦笑いを浮かべ、
「朝倉の城は聞きしに勝る見事なものであった。本山は養明、梅慶、茂辰と三代続いた名門だけあって、万事立派なうえ、家臣も多い。されど我が家中の者に勝る者はおらぬ。ただし、吉井修理なる者は器量に優れておったが、いつ本山と戦になったとて、恐れることはあるまい。」
と、言うと、紙を懐から取り出し、ひらひらと揺らした。
家臣どもは、まるで猫が目の前にぶら下げられた魚を見るかのように、その紙を目で追った。
「それはいったい何でござりましょうや。」
と、家臣の一人が訊ねると、覚世は、
「本山の家来を記したものじゃ。」
と、紙を開いて、披露した。
家臣どもはその紙を見て、つくづく覚世の大胆さに驚いたのである。

さて、数日後、覚世は茂辰との約束を果たした。
長宗我部軍は密かに本山の兵になりすまし、森山城に夜襲をかけた。
一条方の城兵はてっきり本山の兵が攻めてきたと思い込み、城を捨てて逃げ出した。
こうして難なく落とした城を、覚世は茂辰にあっさりと明け渡したのである。
蓮池への足掛かりを手に入れた茂辰は、
「誠にありがたい。これで蓮池に乗り込めよう。」
と、感謝し、
「岡豊殿に、秦泉寺のことはお任せいたそう。」
と、心を許してしまったのである。
覚世はその言葉を伝え聞き、にんまりと笑った。