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天19章 覚世誕生 (その四) [天海山河]

ある日前触れもなく、本山氏の家老長越前がやって来たのである。
「いやはや、長殿が岡豊へ足をお運びとは、如何なるご用にござろう。」
国親はこの突然の訪問客の真意を慮った。
「どうもこうもござらぬ。」
と、長越前は高圧的な態度で迫った。
妙なことだが、本山氏の与力と見なされていた長宗我部氏は立場上、長越前と同格であった。
「これは急にどうしたことでござろう。」
国親は顔色一つ変えず、訊ねた。
長越前は薄ら笑いを浮かべ、
「分からぬか。分からぬのも無理はない。先君養明公が貴殿の父君を誅伐されたおり、山田殿に我が方から分け与えられた土地がごさる。それをこたび、貴殿は何の躊躇もなく横領されたとか。まさか貴殿は当方に翻意があるのではないか。」
と、詰め寄った。
国親はつい飛び出しそうなものをぐっと堪えた。
「とんでもござらぬ。」
「まことにか。」
長越前は意地悪そうに国親の顔色を窺った。
「まことにでござる。まさか長殿は某を左様にお疑いであるか。」
と、今度は国親がにじり寄った。
「いやいや、左様に噂する者がおるでな。」
と、長越前はすっとぼけた。
「これはしたり。某を左様な気など毛頭ござらん。まこと無用なる詮索にござる。」
と、国親は長越前を非難しつつ、これまたすっとぼけた。
「しかし、横領とあっては疑いが晴れぬ。」
と、長越前は凄んだ。
「一体何処でござる。」
と、国親は訊ねた。
すると、長越前は絵図を取り出し、
「ここにござる。」
と、甫木山の辺りをくるりと指で囲んだ。
「甫木山でござるか。」
「左様、これを返して頂きたい。」
そう長越前は迫った。
「しかし、ここはすでに山田の所領であったもの。何故今になって我らが手いれたものをお返しせねばならぬ。」
と、国親も食い下がった。
「これは異なことを申されるかな。そもそもここは当座の用として山田に貸したもの。その山田が居なくなったならば返して頂くのが筋というものじゃ。」
と、長越前はいい放った。
国親は苦悶した。
「長殿、この件しばし時間を頂きたい。」
と、国親は言った。
「ほう、応じてくれるのじゃな。まさかただの時間稼ぎではあるまいな。」
と、長越前はほくそ笑んだ。
「とんでもない。」
国親は長越前の陰湿な言い様にいら立った。
「左様か。ならば半月待とう。良い返事を待っておるぞ。」
長越前はそう言って、国親の元を去った。

「越前め。」
国親はあまりの腹立たしさに思わず拳で床を叩き付けた。
「さても用意周到に絵図など持参しおって、国親殿、よくぞ堪えられた。」
奥の間から聞き耳を立てていた周孝が現れた。
「腸が煮えくり反るところであったわ。いっそのこと懐の物で刺し殺してしまえばよかった。」
と、国親は周孝に思いの丈をぶちまけた。
「某もでござる。されどこれで良かったのでござる。」
と、周孝はなだめた。
「ああ。」
国親も十分承知していた。
「あやつめ、わしが手おを出せぬことを知りおって、柄にもなくわざわざ罷り越したのじゃ。にっくきやつめ。」
「左様。手を出せば兵をこちらに向けて来ましょう。されど、越前も一つ不覚を取りましたな。」
「不覚。」
国親は訊ねた。
「半月という期日でござる。」
「どういう意味じゃ。」
「本山が本気であれば明日にでも攻めてこれましょう。されど、半月も答えを待つとは兵に戦をする十分なゆとりがないのでござる。それに家中では意見も割れておるのでござろう。梅慶殿はともかく、式部少輔殿はご当家の肩を持っておるそうじゃ。」
梅慶とは入道した本山茂宗のことで、式部少輔とはその嫡男茂辰のことである。
「まったく哀れな方じゃな。わしが仇と見なしておるとも知らず。」
「婿とはいえ、まことにございますな。」
「して、叔父貴、本山に勝てるか。」
と、国親は訊ねた。
周孝は首を横に振った。
「その名で呼ばれるのは久しぶりでござるな。」
「そうか。」
国親はがっくり肩を落とした。
「我らが兵をかき集めても一千騎にも及ばぬ。方や本山は常備二千騎ござる。敵に一気に攻め滅ばす力はなくとも、我らは相当の痛手を負いましょう。さすれば山田も再び息を吹き替えし、元の木阿弥となりましょう。」
と、周孝は見積もった。
確かに長宗我部氏は本山にも負けぬ所領を手に入れた。
今日、その辺りは高知平野のど真ん中で、土地も広く、南国市のような市街地も見られるが、先にも述べたように、かつては水の気がない荒涼とした台地であった。そのため、集落は国分川、下田川、物部川の沿岸に点在するだけであった。
一方、本山氏は朝倉から浦戸湾を囲む一帯と吉良氏から奪った肥沃な土地に集落が密集していたため、真っ向からやり合って勝てる相手ではなかった。
しかし、甫木山を手放すとしても大きな問題がある。
甫木山は岡豊にとって北方の守りの要である。
ましてや、この間馬場因幡に安堵したばかりの土地である。
「因幡が縦に首を振るうであろうか。」
国親には一抹の不安が過る。
「左様ですな。せっかく一門の絆を深めたというに、係争の挙げ句、城も主も本山に奪われ兼ねませぬな。」
周孝もそれだけは避けたい。
「覚なる上は。」
と、国親は恐ろしいことを思い浮かべた。

天19章 覚世誕生 (その五) [天海山河]

そのおぞましいほどの表情に、
「国親殿、何を考えておられる。」
と、周孝は訊ねたというより、我に返させようと試みた。
「いざとなれば、因幡を誅するしかないか。」
と、国親は胸の内を吐露した。
「確かにいざとなればでござるが、しかし、安堵した矢先に殺してしまっては、新たに加わった山田の者が国親殿を怪しみは致さぬか。」
と、周孝は諭した。
国親は少し顔を和らげた。
「叔父貴の言う通りじゃな。されど、如何にしたものか。」
「因幡殿には替地を与えてはどうじゃ。」
と、周孝は提案した。
「替地といっても、因幡の所領は数百貫はある。それに替わるほどの土地はない。」
と、国親は言った。
「では、こうしては如何じゃ。」
と、周孝は国親に何やら知恵を授けた。
「なるほど。しかし、それが通らぬときは如何にいたす。」
「その時は仕方ありませぬな。されど、その役目は国親殿ではなく、某が致しましょう。」
と、周孝は覚悟を決め、
「先ずは家老衆と相談致さねばなりませぬな。」
と、言った。

翌日、岡豊城に久武 、中内、桑名ら筆頭三家老のほか、福留儀実、江村小備後、中島親吉ら譜代衆の家老も集められた。無論、周孝も同席した。
「こたび皆を呼んだのは他でもない。皆もすでに聞き及んでおろうが、甫木山の事である。」
と、国親が切り出した。
「恐れながら、殿は如何にお考えでござりましょうや。」
と、久武則義が訊ねた。
「わしは甫木山を返そうと思う。」
と、国親は答えた。
「恐れながら申し上げまする。それでは馬場殿が承服致しますまい。いっそ本山と袂を別ち、一戦に及ぶべし。」
と、桑名丹後守重定が主戦を唱えた。
これに福留や江村など譜代衆も賛同した。
ところが、
「恐れながら某も申し上げまする。兄が申すこと一理あり。されど、今は本山と戦う時にあらず。」
と、重定の弟、桑名藤蔵人が進み出た。
藤蔵人は兄とそっくりな面立ちだが、武辺一辺倒の重定と異なり、思慮深い男である。
「何を申すか藤蔵人。」
と、重定は叱責した。
藤蔵人は落ち着き払って、
「もしこの時に本山と戦を致せば、ここぞとばかりに背後から山田、安芸が攻めて参りましょう。すでに山田は安芸の畑山と手を結んだ由、みすみす漁夫の利を捧げることになりましょう。」
と、答えた。
国親もここぞとばかりに、
「なるほど。」
と、相槌を打った。
これには重定もぐうの音が出ない。
「では如何に馬場殿を説得なさるのじゃ。もはや替えの土地もありますまい。」
と、周孝が芝居を打った。
「うむ、因幡にはこの後これに加わってもらおうと思う。」
と、国親は言った。
「軍儀にござりまするか。」
と、一同ざわめいた。
「いや、軍儀だけではない。家老にしようと考えておる。」
「何と。外様を家老にしては如何なものか。」
と、久武則義が異議を唱えた。
「馬場家は単なる外様ではない。秦門である。何の触りもあるまい。」
「いや、しかし、それでは上村殿はいかが致しましょう。馬場殿を贔屓したと思われるのではござりませぬか。」
と、則義は言った。
「上村には秦門の証として、既にわしから一字与え、親行と名乗るよう伝えておる。」
と、国親は答えた。
「それは良きお計らいでござるな。」
と、また周孝が芝居を打った。
「殿や周孝殿がそうもうされるのなら、それが良いのでござろう。」
と、福留儀実が応じた。
この一言で、主戦派が国親の意見になびき、議論は決した。

家老衆が城を去ると、国親はほっと胸を撫で下ろした。
「やれやれ、一先ず穏便にことが進んだわい。」
「左様ですな。」
と、周孝もほっと息をついた。
「どうも、わが家老どもは血の気が多くて一筋縄ではゆかぬ。」
と、国親は苦笑いした。
「誠に。されど、皆が本山と聞いて怖じける様子も無かったことは、また良きことにございましたな。」
「まっことじゃ。」
と、国親は頬を緩ませた。そして、
「しかし、叔父貴も狸じゃのう。」
と、目を細めた。
「ははは、年寄りをからこうてはゆきませぬ。欺くにはまず味方からでござる。」
と、周孝が応じた。
「一体誰が敵じゃ。馬場か本山か。まさかわしであるまいな。」
「もちろん、本山にございます。」
「そうか。わしは分からなくなって来たぞ。」
「無理もございませぬ。」
「ではでは、本山を欺くため、馬場を説得しに参るか。」
国親は床にごろんと大の字を描いた。


天19章 覚世誕生 (その六) [天海山河]

数日後、国親と周孝はわずかな供を連れて甫木山へ向かった。
甫木山は山田村の北、入野という集落から谷沿いの小道を分け入るように進んで行かねばならぬ山里である。
馬場因幡はその山の頂に城を構え 、そこから北に繁藤、南に平山という集落を望むことができる。
繁藤の北は本山の領分である。
里の入り口で、
「国親殿、某はここで。」
と、周孝は立ち止まった。
「うむ、もしもわしの身に何かあれば、弥三郎(元親)のこと頼む。」
と、国親は言った。
「ご心配召されるな。この先のことは倅が何とか致します。」
と、周孝は嫡男次郎左衛門貞重を推挙した。
「貞重、そなたの双肩にすべてが懸かっておるぞ。例え、刃を受けようとも国親殿の命を守れ。」
と、送り出した。
国親は貞重と昇田新右衛門を引き連れて、甫木山を登りはじめた。
その後ろ姿を見送りながら、
「兄じゃ、まことに大丈夫でござろうか。」
と、大備後重俊が訊ねた。。
「むしろこの方がよいのじゃ。わしも付いて行こうと思うたが、わしが行けば因幡守も警戒しよう。」
と、周孝が答えた。
「ならば某が付いて行けば良いではないか。」
と、大備後は自らを指差した。
周孝はせせら笑いして、
「大備後、そなた今からその小川でも覗いてこい。」
と、言った。
「何を申すか、兄とて言うて良いことと悪いことがある。」
と、大備後は怒った。
「悪い悪い。因幡守がそなたの顔を見ればさらに恐れて刃を向けてくるではないか。事は適材適所選ばねばならぬ。まあ、そなたがそれだけ勇猛に見えるということじゃ。良きことじゃ。」
「誉めておるのか、貶しておるのか分からん。」
と、大備後は愚痴をこぼした。

国親は登り道の途中、ふと、振り返った。
麓はすでに遥か下にあり、周孝や大備後の姿は米つぶ以下である。
視線を上げれば、峰の向こうに香長平野を望める。
ーあの辺りが岡豊か 。ー
「周孝にこの眺めを見せておきたかった。」
と、国親は呟いた。
一行が木戸にたどり着くと、門番が立ちはだかり、
「何れぞ。」
と、問いただした。
昇田新右衛門が進み出て、
「これは長宗我部信濃守様にござる。すでに先方にはこたびのこと伝えておる。お通しあれ。」
と、言った。
「何、わずかこれだけの供連れで来られたか。」
と、門番は目を丸くして、
「しばしお待ちを。」
と、奥に消えた。
「おかしなことじゃ。来ることは知っておったはずじゃが。 」
と、新右衛門は口を尖らせた。
「新右衛門、もしも我らが人を多くして来ておれば、ここで戦となったであろうな。後ろは谷じゃ。敵をここで迎えれば、我らはいくら居ようとも勝ち目はない。」
と、国親は言った。
「なるほど。」
と、新右衛門は身構えた。
しばらくして門番が戻って来ると、
「お入りくだされ。」
と、国親一行を通した。
「どうやら話しが出来そうですな。」
と、新右衛門は胸を撫で下ろした。
「まだ安心してはならぬぞ。これでやっと内に入れたというだけじゃ。生きて再びこの門をくぐれるとは限らぬからな。」
と、国親は言った。
新右衛門はごくりと唾を飲み込んだ。
辺りを見回すと、城の使用人がそこここで庭の手入れをしている。
吉田貞重は、新右衛門のそばに寄り、
「新右衛門殿、この者らは尋常の者ではございますまい。この城を出られるまで気を緩めてはなり召せぬぞ。」
と、小声で言った。
新右衛門は背筋が凍った。
「次郎左衛門殿、それはどういうことじゃ。」
と、敢えて訊ねた。
「新右衛門殿の思うておられる通じゃ。甫木山の者は土佐でもなうての忍じゃ。」
と、答えた。
新右衛門はそっと腰のものを確かめた。
ー敵が襲うが早いか、それともわしが刀を抜くのが早いか。ー

その頃、麓では、
「ところで、次郎左衛門が行くことは分かるが、何故に新右衛門を付けたのじゃ。」
と、大備後が言った。
「新右衛門殿は交渉のなごみになる。」
と、周孝は答えた。
「なごみ。」
「そうじゃ、なごみじゃ。」
「それでは相手に侮られませぬか。」
「侮られるからよいのじゃ。なかなか難しい交渉じゃ。もし、交渉が行き詰まった時、相手が激昂せぬとも限らぬ。しかし、あのようになごむ者がおれば敵は何時でも討てると思うて直ぐには手を出さぬ。それに新右衛門の腕はああ見えて確かじゃ。」
と、周孝は笑った。
「なるほど、選りに選ったわけか。」
大備後は甫木山を仰ぎ見た。

国親は強張った顔の新右衛門を見て、
「新右衛門、そなたはいつものように致せ。」
と、声をかけた。
「しかし、…。」
「いつもの通りでよい。今日は戦しに来たのではない。話し合いじゃ。」
と、国親は新右衛門の緊張を解いた。
そして、国親一行は交渉の席に着いた。

天19章 覚世誕生 (その七) [天海山河]

客間に通されたものの、馬場因幡はなかなか姿を現さなかった。
しびれを切らした新右衛門は、
「わざわざ殿が自ら参ったというに、待たせるとは無礼であろう。」
と、怒った。
「新右衛門、そう苛立つな。反っていつものそなたに戻ったではないか。」
と、国親は宥めた。
すると、奥の戸が開き、馬場因幡が急須を持って現れた。
「お待たせいたし、大変申し訳ござりませぬ。」
と、因幡は慇懃に謝した。
「いや、お気に召されますな。」
と、国親は丁寧に返した。
妙な気もするが、長宗我部氏は家臣への手紙で、しばしば恐々謹言など敬語を使っているのである。これは長宗我部氏が決して高い家柄の出ではないことに起因する家臣たちへの配慮であった。
「かたじけない。斯様な所まで来られたのに大した物もござりませぬが、白湯でもお召し上がりくだされ。幸い、この甫木山は薬草がよく採れましてな。これを飲めば疲れも飛びまする。」
と、因幡は白湯をすすめた。
国親が湯飲みに手をつけると、
「殿。」
と、貞重が声をかけた。
「案ずるな。」
と、国親は応じた。
国親は因幡が白湯に毒など盛ることはないと確信していた。毒を盛るくらいなら、すでに家来に切られているはずである。
むしろ、話しを穏便に進めようと、こちらの気を引いているのだ。
国親は白湯をぐいっと飲み干すと、
「ところで、こたびのこと、因幡守殿は聞き及んでおられるか。」
と、訊ねた。
「はて、いったい如何なることにございましょう。」
と、因幡は国親の腹を探った。
国親は因幡の目をじっと見て、
「本山が、この城を返せと申してきた。」
と、言った。
「左様で。」
と、因幡は顔を強張らせた。
「誠に言いにくいことじゃが、因幡守殿、引き受けてはくれぬか。」
と、国親はあっさり訊ねた。
「それだけは、…。」
と、言うと、因幡は押し黙った。
しばらく沈黙が続いた。
風の通る音だけが聞こえる。
貞重は辺りに注意を払った。
きっと奥の間に伏兵を忍ばせているのであろう。
こちらを窺う気配がする。
「無理か。」
と、再び国親が訊ねた。
因幡は眉間にしわを寄せ、
「無理にござる。この甫木山は馬場家念願の領分でござる。そう易々と人の手に渡すわけにはまいらぬ。」
と、答えると、辺りに緊張が走った。
しかし、国親はここが勝負どころと見た。

その頃麓では、なかなか戻って来ない国親一行に、大備後が、
「いったいどうなっておるのじゃ。やはりわしが行くべきだったか。」
と、右往左往していた。
「落ち着け、大備後。」
周孝が声をかけた。
「よくも兄じゃは落ち着いていられるな。もう二刻も経っておるぞ。」
「なあに、むしろ遅い方がよい。よい方向に進んでおるということじゃ。」
「それはどういうことじゃ。」
「考えてみよ。人は負い目を感じればなかなか否とは言い出しにくいものじゃ。」
「それは分かるが、因幡守の負い目とは何ぞ。」
「己には見えぬ心の負い目よ。人は自分の掌に乗るのではないかと思ったら、人の気を引こうとするものじゃ。つまり、国親殿がわずかな供連れで参ったために、因幡守は拍子抜けして、みすみす国親殿を受け入れてしまったのじゃ。そうなれば、少しでもよい条件はないかと、こちらの懐を探ろうとするであろう。それこそが負い目よ。」
「なるほど、話しの場ができるということか。しかし、何れ思いが叶わぬとなれば、刃を向けてくるのではないか。」
「無論、潮目が大事じゃ。この勝負は城と家老職を天秤に掛けるところよ。いかに家老職が城より勝るかを思わせるところまで因幡守を追い詰めねばならぬ。」
「なるほどのう。」
「因幡守とて秦門。国親殿を討って、本山に鞍替えしても、本山が良き待遇をするとは思うてはおらぬはず。あとは、馬場という家の問題じゃ。」
と、周孝は言った。
岡豊城には本丸から南西に突き出た尾根に馬場曲輪というところがある。
ここにかつて馬場家の館があった。
秦門の多くは城下に住み、その地を名字としていたが、馬場家は秦門きっての名家である。そのため、独立思考が強く、いつしか本家を離れて山田氏に仕えていた。

国親は、
「因幡守殿の願い、相分かった。では、この城と交換に家老に就いては頂けぬか。」
と、切り出した。
「何と、外様の某を家老にござるか。」
「そうとも。馬場家は秦門中の秦門じゃ。何のことがあろうか。」
と、国親は言った。
「何と勿体ないお言葉。」
因幡は緊張から解き放たれて涙を浮かべた。
「いやいや、こたびのこと、わしが貴殿に謝らねばならぬ。わしに力無きが故に、そなたの城が守れなくなった。赦せ。しかし、わしは必ずこの城を取り戻し、そなたに返す。それまで辛抱してくれ。」
と、国親は因幡の手を取って謝意を示した。
因幡は、
「この因幡守、身命を賭してお仕えいたしましょう。」
と、涙を拭った。

国親一行が城門をくぐり抜けたとき、斜陽の茜が頬を照らしていた。


天19章 覚世誕生 (その八) [天海山河]

岡豊城の回りには一里と離れていない所にいくつもの城がある。
その多くは家臣たちの屋敷程度の城であるが、何故か北東の辺りに偏在し、中でも久礼田、比江山は巨大な城郭である。

国親が周孝と合流したころ、空には星がいくつも瞬いていた。
「国親殿、ご無事で何よりにござる。」
と、周孝が出迎えた。
「ああ、どうやら上手くいったぞ。覆ることはあるまい。」
「左様でござりますか。」
「それよりも、叔父貴にあれからの眺めを見てもらえなかったのが残念じゃ。」
「と、申されると。」
「我が城が丸見えじゃ。」
「なるほど。本山が欲した訳ですな。」
「ああ、城のみならず、中原の端まで見えたわ。」
国親は松明の明かりに先導されながら、帰途に着いた。

谷合の小道を抜けると、正面に山田村の村明かり、右手に岡豊城下の街明かりが目に入った。
「叔父貴、敵にここを抜けられたら岡豊はすぐじゃのう。」
「まことにでござるな。」
「わしは少々本山を恐れさせたのかもしれぬ。」
「では、やや大人しくしておりましょうか。」
「うむ。こたびのこと、ただ甫木山が欲しいというのではないようじゃからな。娘を嫁がせて遺恨なしとはしておるが、更なる一手を打たねばならぬな。」
「左様でございますな。」
と、黒衣の宰相は言った。
国親はふと、思い付いた。
「叔父貴、わしは考えたぞ。出家する。」
周孝は目を丸くした。
「これは唐突に。」
「山田を滅ぼしたこの機に亡き父母の追善供養に安祥寺を修繕して、入道いたす。さすれば本山もわしが本懐を果たしたと思うであろう。」
「なるほど、すべては無理としても、少なからず懸念を解く者も現れましょうな」
「よし決めた。急いで帰るぞ。」
国親は歩みを早めた。

さて、約束の期日に長越前が現れた。
「甫木山の件、承諾してくれますかな。」
と、越前は言った。
「恙無く。すでに城主馬場因幡守は城を降りてござる。」
と、国親は答えた。
「ほう。」
と、越前は頷いた。
越前としてはむしろ一悶着欲しいところであった。
「越前殿、何か。」
と、国親が訊ねた。
「いや、たいそう殊勝なことじゃ。殿もお喜びであろう。」
と、越前は繕った。
「ところで、梅慶殿に伝言をお願いしたいのじゃが、いかがでござろう。」
と、国親は言った。
越前は鳩が豆鉄砲をくらったかのような顔をした。
「いったい何でござる。」
「実はそれがし、こたび山田を追いやり本懐を果たした。故に、出家いたす。引いては亡父母の追善供養を執り行う許しを頂きたい。何ゆえ本山殿とは因縁なからぬこと。しかしながら、今や血縁の誼を通じ、子々孫々繁盛のため、その証として梅慶殿より直々にお許しを頂きたい。」
と、国親は言った。
越前は、国親が本心からではないと重々承知であった。
しかし、余りにも容易い願いに反って断る理由が見つからない。
越前が返答に窮していると、
「何かお触りでもござるか。」
と、国親が訊ねた。
「いや、容易いこと。確かに承った。」
と、越前はしぶしぶ承諾した。

後日、国親は本山梅慶の許しを得て、盛大な追善供養を執り行った。
長宗我部氏の菩提寺であった安祥寺は城下の八幡村から中島村の外れに移されて、亡き元秀の戒名覚誉常通より、常通寺と改められた。
そして、国親は妻の祥姫とともに薙髪法体して、国親を覚世、祥姫を祥鳳と名を改めた。
覚世となった国親は城を嫡男元親に譲り、常通寺の脇に隠居所を構えて住んだ。
朝倉城では、
「信濃守はどうやら隠居したようですな。」
「日頃、黒衣を着て、寺に参って亡父の供養に暇がないと聞く。」
「ほう、岡豊に黒坊主がまた増えたか。」
と、家来どもが嘲笑した。
しかし、長越前だけは、
「殿、信濃守が法体したとはいえ、侮ってはなりませぬ。きっとだまくらかしておるのでござりましょう。」
と、警戒を促した。
「うむ、信濃守は容易に心赦せぬ奴よ。しかし、茂辰が心配じゃ。あやつは少々優しいところがある。」
と、本山梅慶は言った。
「どうでございましょう。またひとつ、難題をふっ掛けては。」
と、越前が言った。
「越前に何か妙策はあるか。」
「ございます。」
と、越前は答えて、不気味な笑い声を上げた。

さて、覚世はというと、黒衣に身をまとい、剃った頭をぽんと叩きながら常通寺に消えていった。
その裏で、周孝は岡豊の北東に足しげく通っていた。
「あそこと、あそこが良いか。」
周孝は時折甫木山の方角を確かめながら、
「やはりここか。」
と、久礼田の山肌を指差した。
「ここに巨大な城を構えよう。ここならば背後の山が壁となって、甫木山の死角となろう。あとは、比江山も大きくせねばな。」
と、あちらこちらを見て回った。












楠目城跡 [天海紀行]

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楠目(山田)城跡

左手、木々の茂る中に城があった。今は中学校がある。
山並みの右奥、尖った辺りに烏ヶ森の城があった。




甫木山 [天海紀行]

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甫木山
繁藤方面から見た甫木山。
あの峰を越えれば、眼下に香長平野を一望できる。