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天18章 大備後小備後(その六) [天海山河]

機先を制した長宗我部勢はどうした訳か、楠目城に攻め寄せて来ようとはしなかった。
「いったい、いつ攻めてくる気じゃ。」
と、城方はハラハラしながら敵の様子を見張っていた。
しかし、 一刻、二刻と過ぎても、長宗我部勢は街道沿いに陣を張り、こちらを遠巻きにして、窺っているだけである。
結局、そうこうしているうちに陽が暮れてしまった。
「やれやれ、長宗我部め。」
と、城方は胸を撫で下ろした。が、ふと、一抹の不安が脳裏を過った。
「さてはさては…。」

そう、国親が待ったのは夜であった。
城方が今朝の夜襲を恐れて逃げ出すのを待ったのである。
「殿、何故城を攻めなされませぬか。」
と、昇田新右衛門が訊ねた。
「新右衛門よ、窮鼠は猫を噛む。」
と、国親は突拍子もない返答をした。
「は? 」
新右衛門には国親の真意が分からなかった。
確かに、楠目城は土佐指折りの堅城である。しかし、一揉めすれば、今の長宗我部軍に落とせぬ城ではない。
「斯様な時にお戯れを。今こそ殿の彼岸を果たす絶好の機会でございますぞ。」
すると、国親は笑みを浮かべ、
「そうじゃな。しかし、新右衛門、お主は覚えておるか。天の利に如かず、地の利は人の和に如かず。という言の葉を。」
「あ!」
新右衛門は国親の心が読めた気がした。
「それでは見す見す逃がすことになりますが。」
と、新右衛門は訊ねた。
国親は縦に首を振った。
「良いとも。わしは治部少の頸が欲しいのではない。この戦、もはや山田に天の利はない。無理強いして攻めれば、確かに治部少の頸は討てよう。しかし、敵は殺されると思えば必死になって刃を交えて来よう。さすれば我が方にも無用な痛手を被ることとなろう。」
「なるほど。殿はそこまでお考えでござりましたか。」
「そなたがわしを思うてくれるからこそ、わしもそなたのような者のことを思わねば天の利には至らぬ。我意の赴くままではたち行かぬのじゃ。」
と、国親は笑った。
「恐れ入りましてござりまする。」
と、新右衛門は平伏した。

案の定、城方は夜討ちを恐れて寝るに寝れず、一人、また一人と城を落ちて行く者が後を断たなかった。
そして明け方には、城兵は百数十騎程となってしまった。
残る者は山田長秀をはじめとした、屈強の兵だけである。
早朝、覚悟を決めた城方は長秀を大将に、伏原へと打って出た。
奇しくも、夜露に濡らされた曼珠沙華が辺り一面を鮮やかな紅で染めていた。
そこに漆黒の鎧まとった長秀の騎馬姿が如何にも神妙である。
国親はすぐに鶴翼の陣を張って、山田勢を取り巻いた。
山田勢はすかさず、雁の群れの如く一丸となり、こちらに狙い定めた。
「あな、麗しきかな、監物。天晴れなる覚悟。」
国親は敵の大将、山田長秀の忠心に敬服した。
「掛かれ!」
と、長秀がぼうを降り下ろした。
百数十騎の群れは地を蹴りあげ、国親めがけて駆け出した。
国親は、
「囲め!」
と、檄を飛ばした。
両翼に大きく張られた陣容は獲物を捕らえる網のように山田勢を左右から包み込んだ。
さすがは覚悟ある兵揃いである。
山田勢は一兵も臆することなく、槍刀を振り回し奮戦した。
馬ははげしく嘶き、鋼のい削る音が響き渡る。
「どう!」
一人の勇将が囲いを突き破った。
山田長秀である。
「国親はいずこぞ。」
長秀は辺りを見回した。
乱戦の渦中で、方向を見失ったのである。
すると、
「そこにおわすは、監物殿とお見受けいたす。」
と、声がした。
長秀にはその声の主に覚えがある。
「くくくくく、何じょう因果のあるものよな。」
と、長秀は不気味な笑い声を立てて、その声の方を見遣った。






天18章 大備後小備後(その七) [天海山河]

その先には、馬上の江村親家がいた。
「現れたか、子わっぱ…。いや、小備後。」
それ聞いた親家は、苦笑した。
「何故小備後か。」
長秀は頬に飛沫した汗血を腕ぬぐいし、
「そなたの父も備後ならば、親子合わせて大備後小備後よ。」
と、返答した。
「なるほど。妙名なり。承った。いざ参らん。」
「望む所よ。」
長秀は愛用の大長刀を取り直し、馬の横腹を打った。
親家も太刀を取って、駆け出した。
「どう!」
と、長秀が大長刀を振りおろせば、親家も太刀で、
「えい!」
と、打ち払う。
数度打ち合い、しのぎを削るが勝負の行方はようとして知れない。
「小備後よ、なかなかやるではないか。」
「監物殿こそなかなか。」
今度は長秀が苦笑した。
「小僧が、謙遜など申すな。」
と、大長刀を投げ捨てた。
「いざ組まん。」
と、長秀は声を掛けた。
「心得たり。」
親家も太刀を投げ捨て、馬から飛び降りた。
修羅の渦中、両雄、むんずと組み合った。
互いに大力を誇る強者である。
監物が奥襟を取って力任せに投げようとすると、親家も下手を回して足で耐える。
今度は親家が腕を掴んで引き落とそうとすれば、監物が肩を掴んで踏ん張った。
しばらく、両雄大躯の力比べ。
一方、戦の趨勢は決していた。
山田勢は高名の武将が次々に討たれ、その数を僅にしていた。
さすがの監物もここに至って疲れは隠しきれぬ。
不意に上手を取られ、宙を舞った。
どしん 。
大きな音を立てて、長秀は地面に叩きつけられた。
「さあ、構えられよ。」
と、親家が声を掛けた。
長秀はおもむろに体を起こすと、
「もう、良い。」
と、返した。
「なんと申された。」
と、親家が訊ねた。
長秀は、笑みをこぼし、
「もう、良い。これで良い。ほとほと疲れたわ。貴殿にわしの首をやる。」
と、答え、兜の緒に手を掛けた。
すると、ふと、長秀は思い出した。
兜の緒を蝿頭(はいがしら)に固く締め、両端を切り捨てていたのである。
「小備後よ、このまま斬れるか。」
長秀は兜を着けたまま、首を指差した。
「心得た。」
と、親家は返した。
「そうか。それは心強い。」
と、長秀は念仏を唱え始めた。
親家は長秀の背後に回り、
「御免。」
と、一声して太刀を真一文字に薙ぎ払った。
漆黒の鎧が音をたててくずれた。
親家は長秀のみしるしを高々と掲げ、
「江村小備後、山田監物殿、討ち取ったり。」
と、名乗り上げた。
「備後がやったぞ。」
「みごと、備後、小備後。」
長宗我部勢に歓喜が上がる。
山田勢はみな最期を定め、勝ち誇る敵陣に駆け入り、長秀の後を追った。
辺りには細切れに散った曼珠沙華とともに、山田の勇将どもの躯(むくろ)が横たわった。
国親はその亡骸を丁重に葬り、塚を建てた。
のちにこのあたりは大塚と呼ばれた。

さて、楠目の城も大手を打ち破って押し入れば、すでに城主山田基義は大忍庄美良布を指して落ちていた。
夕刻、国親は親家を呼び、この日一の功名と称え、脇差を与えた。
「今宵より、そなたを小備後と呼ぼうぞ。」
「ありがたき仰せ。」
若武者はこの日より江村小備後と渾名され、土佐に武名を轟かすのである。