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天18章 大備後小備後(その三) [天海山河]

加茂の城主、西内常陸は大の碁打ち好きで、たびたび家来を集めては碁を打っていた。
加茂の城は別名烏ヶ森城とも呼ばれ、その名のごとく、カラスでもなければ住めないほど、急峻な山の上に立っていた。

その日、常陸はその珍客をもてなしていた。

夜になると、秋の始まりを告げる長雨がしとしとと音をたてて落ちている。
常陸は、
「やれやれ降り始めたか。飛騨殿、今夜はここに泊まられよ。この様子では、今宵いっぱいは降り続くであろう。」
と、言うと、若い侍を集めて、碁を打ち始めた。
加藤飛騨は傍らで酒の肴を摘まみながら、平静を装い、その様子を窺っていた。
「ああ、負けもうした。さすがは常陸様、件のごとくお強い。」
若い侍は悔しがり、罰として柄杓酒をぐいっと飲み干した。
若い侍たちは次から次へと常陸に挑んだが、誰一人敵う者はなかった。
「どれ、飛騨殿、貴殿も碁は得意出会ったのう。一局打たれよ。」
と、常陸がすすめた。
飛騨は、袖口で汗をぬぐい、
「せっかくでござる。一局つかまつり候。」
と、立ち上がり常陸の側に寄ると、突如、腰の脇差しを抜いて、
「御免。」
と、唱えて、常陸の胸を一突きした。
常陸は、
「おのれ、謀ったな。」
と、声を上げたが、すぐに息絶えた。
酔いつぶれていた若侍どもは、その声に飛び起きて、
「曲者じゃ。」
と、慌てて刀を取ると、飛騨はすかさず灯を吹き消した。
辺りは一寸先も見えぬ闇である。
「灯を持て。」
と、若侍どもが右往左往する隙に、飛騨は窓から地面に飛び降りて、漆黒の闇を只ひたすらに南の尾根伝いを駆け降りていった。
若侍どもも飛騨の後を追ったが、漆黒の闇と木々を滴る雫の音に遮られ、飛騨の姿は煙のごとく消え失せてしまった。
その後、飛騨は城の南麓、佐古村から船で川を渡り、日付が変わるころ、吉田城へ駆け込んだ。
「そうか、よくやった。」
吉田重俊は、飛騨に褒美を与えると、すぐさま岡豊城に参じた。
城には国親と兄、周孝が武具を整えて待ち構えていた。
「如何であった。」
と、国親が訊ねた。
「万事思惑通りに進みましてござる。」
と、重俊は答えた。
実は、重俊は昼間に飛騨と別れたあと、すぐ城に参上して、いつでも出陣が出来るようにと伝えていたのである。
「そうか、でかした。備中殿、兵は幾らほどある。」
と、国親は振り返って周孝に訊ねた。
「五百ほど、集まってござる。」
と、周孝はほくそ笑んだ。
「よし、十分じゃ。一翼の将が討たれては、山田も歯向かうことは出来まい。」
国親は父、元秀の仇を心に誓い、五百余騎を率いて夜が明けぬうちに岡豊城を出立した。
天文十八年、秋のことであった。


天18章 大備後小備後(その四) [天海山河]

国親は城を出てすぐ、五百の軍勢を二手に分けた。
一手の大将に重俊、それに周孝の嫡男吉田次郎左衛門貞重、桑名丹後守重定、中島大和守親吉ら、二百騎が続いた。
その中に、初陣を迎えた一人の若武者がいた。
名を江村備後守親家といった。
年の頃は十五、六ほどであったが、筋骨隆々として、背も高く、とても初陣の者とは思えない。
少し刻を遡ること、 重俊が出陣のため、屋敷から出たところ、街道の向こうから郎党数騎を率いて、こちらに向かってくる騎馬武者があった。
重俊は松明の灯をそちらに向けると、騎馬武者は、
「父上。」
と、言うではないか。
重俊はその声ですぐに分かった。
「親家か。何しにきよった。」
と、重俊が訊ねた。
「父上、某もお供つかまつる。」
「何。このような夜討ちに初陣じゃと。」
重俊は唖然とした。
実は親家は重俊の次男で、長宗我部一族の江村備後守親政の娘婿として、江村家を継いでいたのである。
そのため、名も長宗我部家の通字である「親」の字を名乗ることを許され、また、養父の官途を継承したのである。
「よいか。そなたはもはや我が子ではない。秦門、江村家を継いだ御嫡子ぞ。左様な身代で何かあったらどうする。」
と、重俊は拒んだ。
「憚りながら、既に某は大将軍社に戦勝の願をかけておりまする。神の御霊も某を守護したもうて、もはや戻ることはできませぬ。」
と、親家は返した。
「呆れたやつだ。よし、分かった。しかし、勇んで無茶は致すな。」
と、重俊は親家の従軍を許した。
そして、 重俊は坂折山の北を通って、楠目城の西にある前山を目指したのである。

一方、国親は自ら三百の兵を率いて、国分寺を通り、前山の北、植村の砦を襲った。
ここは楠目の城にとって守りの要であったが、山田勢は大した戦も出来ずに楠目を指して逃げ去った。

その頃、楠目城下では敵が来たどころか、西内常陸が討たれたことも知らず、山田基義は猿楽、能にうつつを抜かしていた。
「さてさて、能も飽きた。次は曲舞をいたそう。わしが江口の君となって舞踊るとするか。」
基義は女面と羽衣を着けて、手慣れた様子でひらひらと舞はじめた。
すると、にわかに通りが騒がしい。
「一体何の騒ぎじゃ。」
基義は女面を被ったまま外のほうを見た。
「大変じゃ。大変じゃ。岡豊が攻めて参ったぞ。」
と、塀の向こうから声がした。
それを聞いて、館の中は騒然となった。
猿楽師は猿を捨てて逃げ出し、笛吹、女官は悲鳴をあげて右往左往するばかり。
基義も見物男どもに踏みつけられて、座敷の上に転げ回る有り様。
誰一人、敵に立ち向かおうとする者はいない。命惜しさに我先を争うものばかりである。
従者がやっとのことで基義を立ち上がらせ、慌てて鎧を着けたが、西のほうから敵の轟が上がり、 こちらへと向かってくる中、もはや兜を着ける暇などない。
基義は従者に助けられながら、
「殿、はよう御馬にお乗りくだされ。」
と、促され、馬に乗った。
ところが、
「殿、向きが逆さまにござる。」
と、従者が慌てて叫んだ。
馬はその声に驚いて、
「ひひいん。」
と、一声、基義を逆さまに乗せたまま駆け出した。
基義は必死に鞍橋(くらぼね)にしがみつき、門のところまで堪えたが、馬は弓手に向きを変え、基義を振り落としてそのまま駆けていった。
「あの駄馬め、このわしを置いて行きよったか。」
と、基義が悔しそうに地面に突っ伏していると、ごろんと何が目の前に落ちた。
基義は、はてと顔を上げ、目の前に転がる黒いものを凝視した。
「ひえええ。」
基義は度肝を抜かれた。

天18章 大備後小備後(その五) [天海山河]

それは、真っ先に逃げ出した猿楽師の首であった。
すると、十間向こうから松明のあかりに照らされて、こちらへ向かってゆっくりと馬を進める一群がある。
おおよそ百騎ほどであろうか。
一群は数間手前で止まると、一人の男が進み出て、
「これは当今に仕え奉る臣下なり。」
と、言うと、馬から飛び降りて、大股に一つ歩み、また、
「これは当今に仕え奉る臣下なり。」
と、唱え、また一つ歩んで、
「これは当今に仕え奉る臣下なり。」
と、言うと、長刀の石突で激しく地に突き刺して、
「大腰抜けの猿楽師、何の用に立つべきぞ。敵より先に成敗したり。」
と、声を荒げた。
その声の主は山田監物長秀であった。
長秀は、おし殺したような声で、
「こたびのこと、某が日頃申せしことなり。思い知り給うたか。」
と、基義を睨み付けた。
基義はぐうの音も出ない。只、萎れた青菜のごとく、うな垂れた。
長秀は、臍を噛み、
「斯様になっては詮なし。」
と、早々に基義を馬に乗せると、家来に牽かせ、
「皆々、ここは一刻の猶予もならぬ。まずは敵の先手を止めるべし。奥宮殿と傍士殿は城下にて、植村からの敵に備えて頂きたい。某は前山の敵に備える。」
と、僅かな兵を二手に分け、陣を張った。
城の西北、植村からは久武肥後守則義、福留飛騨守儀実を先手に二百騎が迫り寄り、また、西方からは吉田重俊、中島親吉ら長宗我部の猛将が前山の木戸めがけて迫り寄る。
長秀は前山の木戸を破られては敵わぬと、一族山田丹波ら五十騎を引き連れて出向かうと、木戸の三町手前に長宗我部勢の松明が雲霞のごとく群れていた
こちらは関所の番兵を合わせても百に満たず、また、この木戸では守るに心許ない。
このままでは味方の兵が逃げ出しかねぬ。
長秀は、
「よいか、わしの合図があるまで動くな。もし勇みて動くことあれば曲事ぞ。弓隊、矢を構えよ。」
と、木戸の柵に弓隊を並べた。
矢種は僅かしかない。
数に勝る長宗我部勢は木戸を押し倒さんと、地を震わして攻め寄せる。
「来たか。」
長秀は、目を凝らした。
馬の蹄が轟きを上げて、十間手前まで迫り寄る。
僅かに松明の明かりに騎馬兵の姿が浮かび上がる。
「見えた。射て。」
長秀の号令が轟くとともに、一斉に矢が放たれた。
馬は嘶き、幾ばくか兵が討たれた。
長宗我部の先手、桑名丹後守重定と同藤蔵人兄弟は、
「敵は柵の中で怯えておるぞ。怯むな、進め。」
と、下知して、倒れる兵を乗り越えて、木戸へ迫った。
長秀も、
「よし、我に続け。」
と、木戸を開き、打って出ると、
「我は山田監物長秀なり。」
と、大音声を上げて、敵の真っ只中に斬り込んだ。
それに続けと、山田丹波、北村宗左衛門、楠目右京、加藤修理、川窪定氏らが槍を取って突きかかった。
桑名隊は思わぬ敵の反撃に浮き足立った。
そこを透かさず、山田長秀、山田丹波が敵陣を蜘蛛手十文字に切り裂く。
しばらくすると東の山際に茜が射した。
その頃、楠目城下では、山田基義を大将に奥宮若狭守、傍士内蔵助、野口寄長らが、久武、福留ら長宗我部の軍勢を迎え撃っていた。
奥宮、傍士は果敢に敵の陣中に斬り入って、敵味方入り乱れ、しのぎを削り、轟上げる。
久武、福留も負けじと轟上げて、斬りかかる。
後陣の基義はそれに驚いて、旗を巻かせ逃げ支度をして、戦の様子を窺った。
久武、福留の後方に控える国親は、これを見て、
「旗を巻かせるとは、さては不利と見たか。大将が臆しては士卒はいかにして戦えようか。新右衛門。あの本陣を突け。」
と、命じた。
「御意に。」
と、昇田新右衛門は数十騎を従えて左翼を迂回すると、基義の旗本へ打って懸かった。
驚いた基義は味方を顧みることもせず、楠目城を指して一目散に逃げ出した。
これを境に山田勢は総崩れとなった。
奥宮、傍士らは家僕を多く討たれて、自らも深手浅手を負って退いた。
前山では山田長秀が地の利を活かして善戦を繰り広げていた。
「監物殿、大変にござる。北の木戸が打ち壊されましてござる。」
と、使者が伝えた。
「なに、あまりにも早いではないか。殿はご無事か。」
「真っ先にお逃げになられて、お城に籠られてござりまする。」
と、使者は苦々しく答えた。
「この必死の戦に、何たることか。」
長秀は天を仰いだ。
ここに留まっていては前後を敵に挟まれる。
「くそ。」
長秀は刃欠けた太刀を地面に叩き付けた。
すると、そこへ陣群の中から若武者が現れた。
江村親家である。
「そこにおわすは、山田監物殿とお見受けいたす。某は吉田備後守重俊が息男、江村備後守親家なり、こたび初陣に預かり候。いざ構えられよ。」
と、名乗り上げると、槍を取り直して、向かってきた。
長秀は、このようになったのは周孝をはじめ、吉田一族の陰謀であろうということは薄々察していた。
「吉田の小わっぱか。申し分ない。」
長秀も長刀を取って、親家の槍を受けて立った。
両雄二三打ち合い、にじり寄っては打ち分かれ、また数度打ち合った。
長秀、親家、互角の戦いなり。
しかし、武運は長宗我部勢に大きく傾いていた。
山田の兵は傷付き、木戸が破られるのも時間の問題である。
長秀は長刀で親家の槍を打ち払うと、
「小わっぱ、今宵はこれまでじゃ。」
と、言うと、
「逃げるか。」
と、親家が問うた。
長秀は、打ち笑い、
「戦は時の運じゃ。また、改めて修羅場で会おう。」
と、言うと、刃を納め、木戸を通って落ちていった。
親家はその姿を見送り、自陣に戻った。
しばらくして前山の関所が落ち、東の空に陽が昇り始めていた。

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