So-net無料ブログ作成
検索選択

天17章 野の虎(その十二) [天海山河]

十市、池領は南に土佐湾、北に丘陵を控え、他氏との折衝も少なく、土佐中原にあって比して閑な ところであった。
「みな、達者でやっておるか。」
畦端で働いていた農夫が振り向くと、そこに馬にまたがった岩松七郎経重がいた。
「これは、七郎様。みな七郎様に挨拶せよ。」
と、農夫たちは一斉に鍬を置き、駆け寄って、路傍に土下座した。
経重は領民から七郎様と呼ばれ、敬愛されていた。
「これこれ、みな何をしておる。面を上げよ。」
経重は下馬して、農夫たちに声を駆けた。
「滅相もござりませぬ。昨年の凶作の折、七郎様が年貢を免じて頂いたお陰で、このように我らは田畑を耕し、子を養えるのでござりまする。」
「そうか、そうか。子を養えるとは何より。みな、からだを労り、事に励め。」
と、いうと、経重は馬にまたがり、去っていった。
この辺りは剣尾(つるお)呼ばれ、十市領の東の端にあたる。
長宗我部氏と同盟を結ぶ蚊居田氏との領境にあり、武辺で知られる経重が、十市備後守定輔より直々に賜った所領である。
経重が領端までやって来ると、それを木陰より窺う者があった。
「やれ、やれ、ついにお出で為さったな。」
男はそういうと、毒矢を引いて、ひょうと放った。
矢は経重のど真ん中に当たり、
「うん。」
と、一声あげて、馬からまっ逆さまに地面に落ちた。
「こは、如何に。」
と、郎等どもがあわてて駆け寄り経重を起こしたが、胸を射抜かれ、既に息はない。
「下手人を探せ。」
「いや、それより早う、殿を運べ。」
「大殿(十市定輔)に知らせよ。」
辺りが騒然とするなか、男はまんまと逃げおおせ、中島親吉の屋敷へ駆け込んだ。
親吉は知らせを聞くと、男の前に現れて、
「万五郎殿、よくぞこれほどの大事を果たされた。いずれ我が殿より御礼つかまつること間違いなし。ここは一先ず、己が屋敷に戻られ、人目に付かれぬよう静かに居てくだされ。」
と、池万五郎に少しばかりの賄いを取らせて池へ帰した

数日後、岡豊城下、吉田屋敷に十市、池より使者が現れて、池豊前守頼定の嫡男と国親の娘との婚姻を申し入れた。
「これは良き縁組みでござる。」
と、吉田周孝が対応した。
「では、何卒、岡豊殿には良きお取り計らいをお願い申し候。」
「相分かった。ご案じ召されるな。」
使者がいそいそと屋敷を去ると、周孝は周章てる素振りもせず、白湯を一つ飲み干して、
「さては十市殿も経重一人を討たれ、抗することも出来ず、とは言え、軍門に下れば名家(細川氏)の謗りを免れぬ。苦肉の策は縁組みしかあるまいな。」
と、呟いた。
斯くして、長宗我部氏、池氏の婚儀が執り行われ、国親は郡南を掌握した。
婿の池市正頼和は岡豊城下に屋敷を与えられ、そこを居としたが、実質上の人質であった。
さて、万五郎はというと、すぐに悪事がばれて、池頼和の怨みをかい、池より去って、一向坊主になったという。



天18章 大備後小備後(その一) [天海山河]

香美郡加茂の領主、西内常陸は守護代細川氏の分流である。
十市氏とは同族であるが、代々山田氏に使え、藩屏に重きを成してきた。
「殿、公家倣いの遊びはお慎みなさいませ。善くも悪くも上にならうが下なれば、昨今、家中の諸士も乱舞遊興に長じ、月花に酔狂甚だしく、武は廃れるばかりにござりまする。方や国親は武を励まし、郡南を平らげ、旭日の勢い。早々に猿楽師、能楽師を解き放ちなさいませ。」
と、常陸は主君、山田治部少輔基義を諌めた。
基義は元秀を討った山田基通の子である。
この頃、山田氏は一門のほか、傍士、奥宮、加藤、江本、川窪、大谷、五百蔵、久保、柳瀬など多くの家士に恵まれ、七雄を凌ぐ勢力を誇っていた。
「常陸よ。案ずるな。既に我らは大忍庄の大半を押さえ、残るは別府の仙頭のみ。畑山殿とも手を結び、たとえ、国親が我らに矛を向けようとも、都合一万貫の兵に敵うとは思うまい。」
と、基義は常陸の諫言を退けた。
ところで、この畑山というのは安芸氏の分流で奥大忍を領する豪族である。安芸氏当主、安芸元泰の祖父、畑山元盛は応仁の乱で安芸氏の当主と嫡男が戦死したため、養嗣子として家を継いでいた。そのため、畑山氏は安芸氏そのものと言っても過言ではない。
常陸は仕方なく、加茂の城に戻って行ったが、その後も度々楠目の城(山田城)にやって来ては基義を諌めたが、その甲斐なく、基義は仮病をつかって常陸と面会しなかった。。
「殿、常陸殿はもしや謀反を企んでおるのではござりませぬか。」
と、猿楽師が基義の耳元で囁いた。
「まさか常陸ほどのものが、左様なことはあるまい。」
と、流石に基義も信じようとはしなかった。
しかし、猿楽師も常陸に身の危険を感じ、
「されど、常陸殿は細川の門葉。十市殿とも昵懇と聞き及びます。殿が所領の五千貫を質に長宗我部に通じれば如何にやあらん。」
と、基義を誘惑した。
「成る程、確かにさもあらん。」
と、基義は頷いた。
猿楽師は澄まし顔で、
「されば、常陸殿をご成敗なされませ。」
と、恐ろしいことを言った。
「う、ううん。それには及ぶまい。常陸は蟄居といたす。」
と、基義は常陸に加茂の城で蟄居を命じた。
この裁断に家中の心ある者は口をつぐみ、また、久保や五百蔵などの新参の外様は楠目の城へ伺候することを止めてしまった。
そんなことはいざ知らず、基義は城下に大きな館を構え、連日連夜、宴を開き、政は猿楽師の意のままとなってしまったのである。
ある夜、基義がいつものように宴に興じていると、
「どけどけ。」
と、男の声がして、末席から侍女の悲鳴が聞こえた。
「何事か。」
と、基義が枕から身を乗り出すと、甲冑姿の男が一人、こちらに向かってやって来るではないか。
男の名は山田監物長秀と言い、楠目城のすぐ東、談議所城の主である。
ー山田は監物と常陸にある。ー
と、吟われるほど、西内常陸と山田長秀は山田氏になくてはならぬ人物であった。
「殿、この有り様を見て、何事かとは何事でござろう。」
長秀は厳しい剣幕で言い寄った。
「そ、そなたは今、仙頭を攻めていたのではないか。」
と、基義はやっとの思いで言い返した。
「殿、某がここまで早馬を駆けて来たのは他でもござりませぬ。常陸殿のことにござりまする。忠臣を有らぬ科で退け、奸佞を近侍させるとは如何なる所存にござりましょうや。此度のこと、戦地にも聞き及べば将卒の士気は下がり、敵の嘲りは日々これ増すばかり。何卒、ご判断謝りまするな。」
と、長秀は言葉を尽くして諫言した。
このときばかりは基義も長秀の熱意に折れて、
「常陸の蟄居を止めと致す。」
と、申し渡した。
しかし、相変わらず仮病をつかって常陸とは会おうとはしなかった。
そしてまた、猿楽師どもは悪知恵を働かし、今度は長秀を陥れようと有らぬこと言い連ね、陣代(戦の大将)を解き、政から遠ざけたのである。
長秀は猿楽師を深く怨み、戦地から戻ると談議所城に蟄居してしまった。



天18章 大備後小備後(その二) [天海山河]

さて、常陸や長秀が危惧していた通り、国親は次の狙いを山田氏に定めていた。
「国親殿の狙いは楠目でござるか。」
と、吉田周孝は尋ねた。
「ああ、我が父の亡魂を慰めんがため、何としても仇を討ちたいものじゃ。」
「左様にござるな。されど、焦ってはなりませぬぞ。主は腑抜けと専らの噂なれど、敵は今や大身。それに西内常陸、山田監物が藩屏を支えておると聞く。彼の者らはいざという時には必ずや主を護らんと立ち上がる忠臣。こちらが下手に手向かいいたせば、多くの屍を晒すことになりましょう。」
と、周孝は言った。
「そうじゃな。しても、どちらか一人でも居なくなってくれれば良いものを。」
と、国親も悪鬼に願うしかなかった。

ある日のこと、吉田重俊が物部川の辺りを巡回していると、河畔に見馴れぬ男が一人、ぼうっと向こう岸を眺めている。
「さては何処かの間者か。」
と、重俊は疑いつつ、その様子を窺っていたが、男は溜め息ばかりつくだけで、これといったい怪しい素振りはない。
どうやら宿無しのようである。
「そこもと。如何した。」
と、重俊は声を掛けた。
男は振り返り、
「某は主の勘気を蒙り、扶持を召し上げられ、このようにただぼんやりと山際を舞う鳶を眺めておりました。」
と、答えた。
「ほう。では今宵の宿は無しか。」
「へえ。銭もなくなり、ここ数晩は河原の葭が寝床にござります。」
「成る程、それは哀れじゃな。して、そなたの名は何と申す。」
と、重俊は訊ねた。
「加藤飛騨と申します。」
加藤と言えば山田氏の家来筋の苗字である。
重俊は、「もしや。」と、思ったが、それならばそうと名乗るはずもない。
「ほう。では山田殿のご家来か。」
「へえ。家来と言うにはあまりにもお恥ずかしい。十石取り軽卒の者にござります。せいぜい碁をうつことと田楽を舞うことしか取り柄はござりませぬが。」
「ほほう。」
重俊はこの男がひょいひょいと何でも答える様子に、何かの用に立つのではあるまいかと、思った。
「重ねて訊ねるが、そこもとは山田監物殿や西内常陸殿とはご縁があらぬか。」
「へえ。常陸殿とは時折碁をうつことがござりました。」
と、飛騨は答えた。
重俊は良い獲物が見つかったと思った。
「ほう、左様か。ところで、わしは吉田備後守と申す者じゃ。」
と、重俊は名乗った。
飛騨はひっくり返って驚いて、
「ひええ、どうか命だけはお助けを。」
と、声をあげた。
「何を訳のわからぬことを申しておる。わしはそなたを斬る気などない。それより、そなたは運が良い。」
と、重俊は兄にも勝るとも劣らぬ策謀を巡らした。
「よいか。我が主は身寄りのない者には、居食を与え、我が子のように慈しまれるお方じゃ。どうじゃ仕えぬか。」
と、仕官をすすめた。
飛騨は行き場のない男である。断る理由もなければ、また、返答次第で重俊の気を損なうとも限らない。
「誠に有り難きお話のござりまする。」
「そうか。ではわしから岡豊殿に注進致そう。そこでじゃ、そなたに一働きしてもらいたい。」
飛騨はまるで蛇に睨まれた蛙のように震えながら、
「何なりと。」
と、二つ返事で返した。
「実はな、わしは昨今子細あって、常陸殿に深い恨みがある。そこで、貴殿に彼の者を討ってもらいたいのじゃ。どうじゃ、出来るか。」
飛騨は否とは答えられぬ。
「へえ。ご覧に入れてみせましょう。」
「よし。ではこの事、岡豊殿にお伝え致そう。貴殿の扶持を用意して、吉報を待っておるぞ。」
と、言うと、重俊は岡豊へと帰って行った。
取その場にり残された飛騨はま、だ脚が震えて身動きがとれぬ。
しばらく経って、気を取り戻し、
「さてさて、如何にしたものか。楠目へ出向いて、この事を話すか。いや、山田に今の長宗我部を押さえる術はあるまい。吉田備後と言えば、岡豊随一の勇将。草の根を掻き分けてでも探し出され八つ裂きにされるに違いない。いっそのこと、川に身を投げるか。いやはや如何にしたものか。」
と、飛騨はあれこれ方策を思案しているうちにある思いに至った。
「そうとも、楠目に行っても死。川に身を投げても死。ならば加茂に出向いて刃を刺し違えることに何の躊躇いがあろうか。そうじゃ、碁にでもかこつけて近寄り、隙を窺えばよいではないか。」
飛騨は覚悟を決めると、加茂の城へと向かって行った。