So-net無料ブログ作成
検索選択

28章 漁夫の利(その四) [天海山河]

この頃、一条氏や本山氏が戦に明け暮れる中、長宗我部氏は五年のあいだ大した戦もなく、平穏そのものであった。
覚世に至っては寺奉行として吸江庵の山争いを解決するなど、まさに順風満帆であった。
「長らく戦をしておらぬな。」
と、覚世が言った。
「おかげで蓄えも出来申した。」
と、周孝が岡豊城の米蔵を指差した。
「叔父貴、そろそろ背後を固めておきたいのだが。」
と、覚世は言った。
「背後。」
と、周孝はとぼけた。
「叔父貴はずるくなったな。子細を謂わぬとも察しておるくせに。」
と、覚世は返した。
「隔靴掻痒ですからなあ。」
と、周孝は背を掻こうと手を伸ばした。
「何じゃそれは。」
と、覚世が訊ねると、周孝は、
「『無門関』※の言葉にございましてな、痒いところを掻いたとて、うまく行かず、もどかしいことでござる。」
と、五十肩を指差した。
覚世は呆れ顔で、
「叔父貴は難しい言葉を知っておるのう。しかし、わざわざ身を呈して説かずともよいぞ。」
と、周孝の背中を掻いてやった。
周孝はまるで猫のように背を反らしながら、
「さても香宗我部は未だ家中一致とは言えませぬゆえ。」
と、坊主頭をぽんと叩いて見せた。
周孝は香宗我部に余程の引け目があるようである。
「叔父貴は香宗の土居は出入り止めじゃからのう。」
と、覚世がからかうと、周孝も、
「それはそなたも同じこと。」
と、返した。
「やれやれ、わしも叔父貴も香宗我部は苦手じゃのう。」
「どこから糸口を掴みますかのう。」
と、周孝は覚世の顔を見た。
もっとも、引け目があるのは覚世の方である。
覚世には四人の息子がいる。
弥三郎、弥五郎、弥七郎、弥九郎である。
その中から香宗我部氏の娘に目会わせる婿を選ばねばならぬ。
無論、長男は後継ぎとして残さなければならない。
「姫殿は幾つであったかな。」
と、覚世が訊ねた。
「十八と聞き及びまする。」
と、周孝は答えた。
十八と言えば、次男の弥五郎が丁度である。
しかし、覚世には弥五郎を手放したくない訳がある。
周孝もそれを察して、口を差し挟もうとはしなかった。
覚世はしばらく考えた。
弥五郎は年の頃も良く、勇敢にして知恵もまわる。香宗我部家に入っても家臣に侮られることはあるまい。
だが、頭が痛いのは長男の弥三郎である。
弥三郎は軟弱で家臣にも侮られるほどである。いっそのこと弥五郎を家嫡に立てたいほどである。
そんなことを行ったり来たりと思い巡らしていると、覚世は腰がむずむずとして来た。
「叔父貴、何を押し黙っておる。」
と、覚世は周孝を怒鳴った。
周孝は腹のうちで笑いを堪えた。
「左様に苛立たれて、如何なされた。」
と、諭すと、覚世は憮然として、
「やはり、弥五郎を遣るのは惜しい。」
と、応えた。
「では、弥七郎様ですなあ。弥九郎様はまだ十でござるからのう。」
と、周孝は言った。
しかし、覚世には弥七郎を選ぶには少々不安がある。
「弥七郎は弥三郎に似て少々大人しいぞ。」
と、苦言を呈した。
「それが良いのでございます。大人しければ、異を唱える者も抱き込みやすくなりまする。剛は反って波風を立てるゆえ、ここは柔が宜しゅうござる。」
と、周孝は答えた。
「弥七郎は十六、姉女房になるがな。」
「それも宜しゅうござる。」
と、周孝は微笑んだ。

永禄元(1558)年、覚世は香宗我部氏に弥七郎を遣わすと伝えた。
弥七郎はすぐに香宗城へ行くことはなく岡豊に置かれたが、援軍として吉田大備後が嫡男伊賀介重康を伴って香宗城の東にある上夜須の古城、釣鐘城を改修して入った。
麓を流れる夜須川の向こうには、安芸方の尼ヶ森城がある。
吉田親子の行為は一触即発ともなりかねないが、安芸方も釣鐘城に大備後が入ったとあっては、なまじっか手を出すこともできない。
安芸備後守国虎は黒岩越前に命じて後詰めに馬の上に城を築かせた。
以降、長宗我部氏と安芸氏は川を隔ててにらみ合うこととなった。

岡豊では覚世と周孝がまた川の土手を歩いていた。
「釣鐘に舎弟が入ったようにござる。これでようござりましたかのう。」
と、周孝が唐突に言った。
「上々じゃ。安芸が動けぬのなら。」
と、覚世は答えた。
「確かに。香宗我部の安芸寄り衆も、息を潜めるしかありますまい。」
と、周孝は言った。
土手道からは誇らしくそびえる岡豊城が見える。
しばらく行くと覚世が不意に、
「仰山釣れたかのう。」
と、対岸の釣人を指差した。
「釣れましたのう。たいそう漁夫の利が。」
と、周孝が返した。
すると、覚世は笑って、
「おいおい、叔父貴殿。漁夫の利は魚ではないぞ。蛤と鷸(しぎ)じゃ。魚を釣ってはおらぬ。」
と、先を歩んで行った。




※宗の禅僧、無門慧開(むもんえかい)が著した書物


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この記事のトラックバックURL: