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天21章 物部川(その七) [天海山河]

その日の夕刻、物部川の岸辺に黄昏の中を蠢く一群があった。
その中から人影が一つ抜け出て、 河畔に立つと灯りを点した。
すると、東の岸から一艘の舟が漕ぎ出して川を渡りはじめた。
舟には漕ぎ手の他に、二つの影が見える。
舟が渡り終えると、湖畔に立つ人影は芦原の陰へと二人を誘った。
そこには十人ばかりの男どもが待ち構え、その奥に大きな男が床几に腰を据えていた。
男は二人を見ると、
「よくぞ参られたな。池内殿。」
と、声を駆けた。
その声の主は江村小備後であった。
池内真武は、長宗我部氏随一の武名を誇るこの大男とこのような所で初めて会おうとは、実に滑稽でならなかった。
「江村殿、お初に御目にかかる。此度は岡豊殿に何卒、寛容なるご計らいをお頼み申す。」
と、真武は神妙に応えた。
「無論、我が殿は承知じゃ。して、例の証はござるか。」
と、小備後は尋ねた。
すると、真武は供の村田八郎左衛門に目配せした。
八郎左衛門は懐に挟んだ包みものを取りだし、小備後の前に進み出ると、その包みものを開いた。
「これは。」
そこに居合わせた長宗我部の侍どもは声をあげた。
包みより出てきたのは一本の髻(もとどり)であった。
「これでは約束のものが違うではないか。」
一人の侍が真武らを非難した。
「そうじゃ、首はどうした。」
と、もう一人の男が詰め寄った。
「畏れ多くも、これが秀通公の髻にござる。」
と、真武は言い放った。
しかし、納得がいかぬ長宗我部の侍どもは、
「斯くなる上は力攻めせよ。」
と、騒ぎだした。
すると、
「待て。」
と、小備後の声が掛かった。
「確かにこの髻は秀通公のものである。」
と、小備後は断言した。
その言葉に長宗我部の侍どもは静まった。
「何ゆえ、小備後様はそう思われるか。」
と、一人の侍が訊ねた。
すると、小備後は、
「髻に紫の茶筅を施しておる。この茶筅は秀通公ご愛用のものであるな。池内殿。」
と、訊ねた。
「左様にござる。」
と、真武は応えた。
「されど、茶筅だけであれば替えがいくらでも利くのではござりませぬか。」
と、一人の侍が疑問を呈した。
小備後はうち笑い、
「確かにそうであるな。しかし、紫の茶筅じゃ。この色に染めるには紫草の根が要る。この暖かい土佐では手に入れるには相当難儀であるぞ。大和の山中、もしくは信濃、甲斐のあたりでなくば、手に入るまい。そもそも香宗我部殿は武田の名門。代々紫の茶筅で髻を束ね、武門の誇りを守り続けて来られた。もし、その茶筅を外し、今ごろ大童で人目を忍んでおるならば、秀通公は武田の誇りを捨てたことになる。斯様なことは彼のご仁であればすることはない。その証拠に茶筅の結び目に紅の飛沫がこびりついておる。」
と、指差した。
長宗我部の侍どもはその指差した辺りを見ると、確かに小備後の言うとおりであった。
この時、真武はここに小備後が来た理由が分かったような気がした。
ー長宗我部は姑息ではない。ー
そういう人物を当てて来ているのである。
「池内殿、この髻、お返し致す。丁重に弔って下され。」
と、小備後は秀通の髻を包み戻して真武の手に渡した。そして、自ら川縁に立ち、真武らを見送った。
舟は舳先に小さな灯りを点して岸を離れた。
その後ろ姿を見送りながら、小備後に一人の侍が訊ねた。
「しかし、何ゆえ髻だけを持って参ったのでござりましょうや。もし、小備後様があの髻を秀通殿と見極めねば、一戦になっておったかもしれませぬ。」
「そうかもしれぬな。それを承知で参ったのかもしれぬ。我ら次第では池内殿は自刃するつもりであったろう。ましてや秀通公も刺客相手に余程の太刀回りをなされたのであろう。その姿の憐れさ故に髻だけを証として参ったのじゃ。池内殿もなかなかのご仁よ。」
と、小備後は呟いた。
そして、小さな灯りが向こう岸に消えると、小備後は踵を返して立ち去った。

香宗我部秀通、享年四十七、華嶽院殿王奠大居士と謚して、高野山に位牌を納める。
また、殉死するもの八名、香南市野市町東野に石碑が立つ。
秀通の二男は生母の父、十市宗桃に預けられ、のちに中山田親秀が引き取り養育す。
一女は覚世の息男に目会わせ、土佐武田氏の血統を繋ぐ。
ここに長宗我部氏、香長平定を成す。







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