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天21章 物部川(その六) [天海山河]

弘治二年十月二十一日、この日は雲一つない蒼天であったという。
香宗我部秀通は従者を連れて、物部川のほとりに向けて城を出た。
先日、真武から狩の誘いを受けていたのである。
ちょうど、河畔には雁が群をなして飛来する時季であったこともあり、武芸調練に疎まない秀通は悦んでこれに応じたのである。
城の大手に差し掛かると、一人の男が周章てた様子で駆け寄ってきた。
男は香宗我部一門の西山兵太夫であった。
「兵太夫、どうした。」
と、秀通は馬の手綱を引いた。
「こたびのご遊覧はお止めくだされ。家中に不穏な動きがござりまする。」
と、兵太夫は忠言した。
「兵太夫、心配いたすな。本日の誘いは肥前守じゃ。それに、城にこもっておってはこの身が鈍るばかりじゃ。斯様な晴れた日に、外へ出ぬして、どうせよと言うのじゃ。」
と、秀通は兵太夫を諭した。
秀通の言葉には厭世から逃れたい気持ちが見て取れた。
城の中は、安芸か岡豊かで紛糾するばかりである。
兵太夫は、
「ならば、私もお供いたしましょう。」
と、列に加わった。

一行が城の西、郭の木戸を越えた辺りであった。
街道の傍らにこんもりと枯れ草に覆われた小高い土手がある。
その上には大きな杉の木が一本立っていた。
すると、その根元の辺りから、被り物をつけた男どもが、わっと躍り出た。
その数、十八はあろうか。
男どもは腰の佩き物を抜き、行く手をふさいだ。
西山兵太夫はとっさに駆け出し、秀通の前に立つと、刀を抜いて、
「何ゆえの狼藉ぞ。」
と、一喝した。
すると首魁とおぼしき男が、
「親秀公のご命なり。」
と、答えた。
その言葉に、従者の多くが逃げ出し、残った者は兵太夫を初め、近習の岡本与兵衛、池内長介だけであった。
「八木に謀られたか。」
秀通はそう言うと、槍を取って構えた。
首魁の男は、
「退かれぬとは、お見事なお覚悟。」
と、言うと、仲間に合図して、一斉に襲いかかってきた。
秀通は先を駆け寄る敵を一突きで崩すと、馬から飛び下り、二人三人と突き倒した。
兵太夫も敵の刃を太刀で払い、討ち取ると、岡本与兵衛、池内長介も兵太夫に遅れじと、刀を抜いて敵中に斬り込んだ。
主従四名はここを一所と思い定めて、獅子奮迅した。
あまたの切り傷、刺し傷を負った。
太刀は刃こぼれ、槍は血潮で朱に染まる。
息も絶え絶え、北風になびく衣手に汗血がこぼれる。
しかし、敵は新手新手と刃を下ろす。
秀通は怯まず、滑る槍柄を取り直し、ついに敵の悉くを討ち果たした。
「殿、ここにいては危のうございまする。早う城に戻りましょう。」
と、兵太夫が声をあげた。
すると、秀通は振り返り、おぞましいほどの笑みを返してきた。
兵太夫は背筋が凍りついた。
秀通の袖はまるで幣(ぬさ)のごとく垂れ下がり、そこから血が滴り落ちている。
秀通は槍を杖におもむろに歩みだした。
その先は城の方角とは異なり、北の中山田に通じる径である。
兵太夫らは無言で秀通に従った。
しばらく行くと、一本の松が生えていた。
秀通はその根元に腰を据えると、兵太夫に向かって、
「天の理、我にまさに死すべし。我死して汝は池内肥前と議して、岡豊が息男をして嗣がしめ、我が父(養父親秀)の志と成せ。」
と、遺言すると、脇差しを抜いて十文字に腹をかっ裂いた。
それを見た岡本与兵衛と池内長介は互いに刺し違えて、秀通に殉じた。
兵太夫は周章てて駆け寄り、秀通の身を起こした。
秀通は虫の息の中、
「汝は我に殉ずるな。」
と、息絶えた。
「なんたる無情。なんたる無情。」
蒼天のもと、辺りには兵太夫の声だけが木霊した。




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