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天21章 物部川(その五) [天海山河]

真武が屋敷を出たのは亥の刻を過ぎた頃であった。
折しも秋雨が降り注ぎ、辺りは漆黒の闇である。
真武は目をそばめ、街道を北へと進んだ。
半里ほど行くと、小さな門を構えた屋敷に突き当たった。
真武は、脇戸に立ち、
「八木肥前にござる。」
と、中に向かって声を掛けた。
すると、脇戸の小窓が開き、下人が灯りを照らしながら、
「お待ちもうしておりました。」
と、戸を開けて、真武を屋敷へと誘った。
下人はこの日の昼間、真武の屋敷に現れて、こんな夜更けに来るよう伝言したのである。
真武は下人に訊ねた。
「そなた、何故斯様な夜更けに呼んだのじゃ。」
下人は何か考えている様子であったが、
「お屋形様のご命に御座います。」
と、 答えた。
真武は下人が何かを知っていると察したが、あえて聞こうとはしなかった。
真武が奥の間に通されると、
「おお、肥前殿か。」
と、声を掛けた者がいた。
家老の下司九郎左衛門である。
その傍らには岡本伊賀守保清をはじめ、北村新左衛門秀張、久甫内勘左衛門ら重臣が、薄暗い一本のろうそくの灯りを囲んでいた。
一同は顔を合わせるなり、訝しく思った。
一体何のためにここへ集まったのか見当がつかないからである。
すると、後から声がした。
「皆、集まったようじゃな。」
振り替えると、そこに香宗我部親秀が立っていた。
親秀は真武の顔を見て、
「肥前もよく参った。そこへ座れ。」
と、指図した。
真武が席につくと、親秀は上座に腰を掛け、
「皆に集まってもらったのは他でもない、養子のことじゃ。」
と、言った。
「畏れながら、その事につきましては、家中にて岡豊、安芸との決着がつきませぬ。」
と、九郎左衛門が言った。
親秀は大きく頷き、
「存じておるとも。これはすべてわしの不始末じゃ。されど、よく見よ。今宵ここへ呼んだそなたらを。」
と、問いかけた。
一同は再び顔を見合わせると、合点がいった。
ここに安芸派の者は誰もいない。
「わかったようじゃな。わしの心は初めから決しておる。そもそも安芸など入る余地は無い。そのために、そなたらを呼んだのじゃ。」
と、親秀は語気を強めた。
その時、ここに居合わせた誰もが、親秀の本心を悟らずにはいられなかった。
「畏れながら申しあぐる。ご非情なるお覚悟にはござりませぬか。」
と、真武が翻意を促した。
「やむを得ず。」
と、親秀は答えた。
「しばらくのご猶予を。」
真武の言葉に親秀は首を横に振った。
「されど、」
と、真武が声をあげると、九郎左衛門がそれを制した。
「肥前殿、貴公の気持ちはよく分かる。しかし、大殿はそれ以上に思い詰めておられる。ここに至っては大殿のお気持ちを汲み取られよ。」
九郎左衛門の言葉に萎れた様子の真武に、親秀は言った。
「貴殿のごとき家来を得られたこと、この香宗我部家にとって誉れである。されど、此度は危急のこと。意を曲げて、わしの志を受けてくれ。安芸に悟られぬよう殺れ。」

庭先では、秋雨の中をきりぎりすだけがけたたましく鳴いていた。



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