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天21章 物部川(その四) [天海山河]

お家騒動は他家に知れてはならぬ最大の機密事項である。
香宗我部氏は一見平然を装っていたが、ある朝、城兵が物見櫓から辺りを見回していると、とんでもない物が目に飛び込んで来た。
城の南西、およそ半里の岸本村に月見山という丘がある。
かつて、承久の乱で土御門上皇が土佐に流されたおり、この山から月を眺めて、和歌を詠じたという。
その山に櫓が立ち、橘の軍旗が棚引いているのである。
「た、大変じゃ。」
城兵は櫓から転がるかのように駆け降り、
「月見山に安芸の旗が揚がっておりますぞ。」
と、城中に伝え回った。
池内真武は郭外の家老屋敷で、まだ床のなかにあったが、城からの使者の声に飛び起き、周章てて登城してみると、城内は上へ下への大騒ぎである。
ある者は倉から鎧兜を引っ張り出し、またある者は家宝什器を風呂敷に詰め、はたまたある者は時世の句を認めている。
「皆、落ち着け。敵はすぐに攻めてこぬ。」
と、真武は一喝すると、櫓に駆け上がった。
「やはりな。」
真武は月見山の様子を見て、確信した。
「よいか、皆、あれはただのこけ脅しじゃ。安心せよ。もし敵が今すぐにでも攻めてくるならば、軍旗をわざわざこちらに向けて見せつけることはない。されど、安芸はあれに砦を構えるつもりであろう。そのために、こちらが攻めてこぬよう脅しておるのじゃ。」
と、言った。
すると、血の気の多い若武者が、
「ならば今すぐにあの山を攻めて取り替えそうではないか。」
と、声をあげた。
「落ち着け、攻めれば安芸は本気で軍勢を送ってこよう。敵はそれも狙っておる。」
と、真武が諭した。
「何ゆえ、安芸は攻める気もなく、我らを脅しておるのじゃ。」
と、若武者は訊ねた。
その問いに、真武は答えるかどうか迷った。
それは、この家の何者かが安芸に家中の騒動を伝えたに違いないからである。
無論、下手人の見当はついている。
「我らの動きを見ておるのじゃ。国虎が中原を掌にせんと我らに揺さぶりを駆けてのことじゃ。我らが降参するとなれば、味方の兵は無傷ですむ。それが狙いじゃ。」
と、真武は若武者を上手く言いくるめながら、心中急くものがあった。
その時が来るのは、あの山に城が建った時である。
その時までに真武は家中の意見を長宗我部派にまとめなければならない。
しかし、これほどまでにあからさまに威嚇されては、若い家老の力一つでは二百余名の家臣を抱えるこの家をどうすることもできなかった。

案の定、安芸方は月見山に巨大な城を拵えた。
海辺まで延びる尾根は途中幾重にも堀で区切られ、山頂には大きな郭を設けていた。
そこに立つ櫓は天を刺すかのように高くずっしりとして、朝倉城に勝るとも劣らない、異様なものであった。
これが土佐一の巨城と吟われた、岸本城である。
この城に安芸の猛将、姫倉右京が入り、城の名は姫倉城とも言った。
度肝を抜かれた香宗我部の家臣どもは、次第に安芸派優勢へと変わり、真武は窮地に立たされることとなったのである。

無論、覚世や周孝はこの様子を村田八郎左衛門から伝え聞いてはいたが、これといって動くことはなかった。
「安芸の国虎なる者は、若う御座いますな。」
と、周孝は白い碁石を碁盤の隅に打った。
「ん、ん。」
覚世は負けじと黒い碁石をその横に打った。
「聞こえておりませぬな。ではもう一度、国虎は若う御座いますな。」
と、周孝は黒い石の内側に白い石を置いた。
覚世は頭をかきむしりながら、碁石を升目の対角線上に打つと、周孝は行く手を阻むかのように石を並べ、気付けば覚世の石は周孝白い石にぐるりと取り囲まれていた。
「くっそう、さては隅に置いた石は誘い石であったか。」
覚世は周孝にまんまとやられて音を上げた。
「それより覚世殿、国虎は若う御座いますな。」
「岸本の城のことじゃな。若いのう。」
と、覚世はさっきまでの様子とはまるで別人のように落ち着き払って答えた。
「そもそも城は落とされるもの。そのようなものを敵の目の前に晒されては、誰が攻められているのかわかりませぬ。」
と、周孝は言った。
覚世は碁盤の石を一つ一つ取りながら手順を確認し、
「そうじゃな。こけ脅せば嫌う者はより嫌うことになろう。此度の戦は誰が城なのかを知らねばならぬな。」
と、呟いた。
覚世も周孝も、八郎左衛門からの知らせで、この見えない戦の鍵を握る者は誰かを十分に見定めていた。
「そうで御座いますな。人とは好きでのうても嫌いでなければ、大して考えもせずに時の流れ、世の流れに靡いてしまうものでございまする。」
と、周孝は言った。
「無分別にのう。」
「無分別にですな。」
「故に人とは怖いのう。」
「左様ですなあ。」

それから暫くのことであった。
その鍵を握る者、いや、最も安芸を嫌う者が、窮地に立つ池内真武ら長宗我部派を呼び寄せた。

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