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26章 物部川(その三) [天海山河]

ところで、覚世は朝倉から戻って間もない頃であった。
娘婿の願い事に奔走し、さて、秦泉寺を攻めようと取り掛かった時であった。
ある日、村田八郎左衛門が吉田周孝の館にやって来た。
八郎左衛門は香宗我部氏の家来でありながら、長宗我部氏からも扶持を預かる特殊な男である。
大谷左馬助討伐に協力し、その恩賞の謝礼に現れたのである。
周孝は八郎左衛門を饗応し、ついつい深酒に浸ってしまった。
「村田殿、いっそのことこちらに鞍替えいたさぬか。」
と、周孝は戯れに誘った。
すると、八郎左衛門は、
「いやいや今はなりませぬ。我が主とご隠居様が揉めておりましてな。」
と、言った。
「ほほう、それはどうしたことじゃ。」
と、周孝は合いの手を入れると、
「いやはや、此度の岡豊殿の勢い目覚ましく、ご隠居様が家督を岡豊殿のご子息に継がせようと言い出したのでござる。」
と、八郎左衛門は口を滑らせた。
周孝はあんぐりと口を開けた。
一方、八郎左衛門の顔は見る見るうちに青ざめっていった。
「いやこれは、」
八郎左衛門は周章てて両手で口を覆った。
周孝は盃を置いて、詰め寄った。
「村田殿、わしとそなたの仲じゃ。今宵のことは誰にも広言せぬ。いったいどういうことか申してくれぬか。」
口から出たものはもう取り返しがつかぬ。
八郎左衛門は観念し、経緯を話しはじめた。

香宗城の北に中山田と呼ばれる丘陵がある。
その中腹ほどに屋敷があるが、そこは香宗我部氏の前当主、親秀の隠居所である。
親秀は入道して、遷仙と号しているが、土地の名前をとって中山田様と呼ばれていた。
この頃、香宗我部氏は郡守護とは名ばかりで、その勢いは日に日に衰え、もはや風前の灯火であった。
原因はすべて安芸氏の中原侵攻であり、安芸勢力は香宗城の半里、岸本というところまで迫っていた。
このままでは安芸氏に香宗我部氏は飲み込まれてしまう。
親秀は三十年前、嫡男秀義を安芸氏に討たれ、大の安芸嫌いであった。
そこで親秀は乾坤一擲の策を捻り出した。
家督を継いだ弟の秀通には娘がいる。これに覚世の男児をめあわせて、継がせようと考えたのである。
早速、親秀は秀通のもとを訪ね、相談した。
すると、秀通は激昂し、
「我には男子あり。他家より養子を貰う用はござらん。国親の武威を恐れ、その子を家嫡と為すは、乃ち武門の恥。」
と、とりつく島がなかった。
秀通は甲斐武田家の本流であるこの家を思ってのことであったが、親秀とて思うところは同じである。
その日、親秀は仕方なく城を後にした。

ところが、ことはそれだけでは済まなかった。
噂を耳にした家臣どもがにわかに騒ぎだしたのである。
家臣は養子を迎えることに異議申し立てる者は皆無であったが、その中には長宗我部氏を嫌う者多く、安芸氏との養子縁組を求める者もいた。
家臣どもは勝手に評定を開き、長宗我部派と安芸派に分かれ、侃々諤々に 言い争った。
殊に一族分裂にまで発展した池内家の言い争いは激しさを増した。
宗家池内肥前守真武は、
「安芸はご当家にとって積年の醜敵。この度のこと、中山田様のご意向に従うべし。」
と、主張すると、叔父池内玄蕃は、
「貴殿はお忘れか。我が一族は本山と同じく八木の血を引くものぞ。長宗我部とは因縁の仲。断じて長宗我部の軍門に降らぬ。ここは安芸殿と盟約を結ぶべし。」
と、反論した。
真武と玄蕃は同族とはいえ、大層仲が悪かった。
玄蕃は自分よりもはるかに若い真武が池内一族の長であり、かつ、筆頭家老であることに嫉妬していた。
「貴殿の申し様、一族の因縁に如かず。今はお家の大事を論ずべき時である。私意は控えられよ。」
と、真武は一喝した。
それを受けて、玄蕃は、
「これは異なこと。武門とは誇りあってこそのもの。貴殿はそれを忘れたと申すか。」
と、喧嘩を売った。
「何を申すか。今、ご当家を思えば、中原に勢いある長宗我部殿と盟約結ぶが第一の策ではないか。」
と、真武はつい若さが出た。
無論、玄蕃は見逃さず、
「ほう、それが貴殿の本心か。この玄蕃、よう心得た。貴殿は長宗我部を恐れて申しておるのじゃな。左様な者が一の夫とは片腹痛い。」
と、嘲笑し、席を立った。
真武は苦虫を潰し、押し黙って怒りをこらえた。

事態はますます紛糾するだけで、解決の糸口が見つからぬまま、無為に時が過ぎていった。
そんな最中、また一つとんでもないことが起きたのであるが、八郎左衛門が話したのはここまでである。
周孝はこの事を覚世に伝えた。
「では、いかにすれば良い。」
と、覚世は訊ねた。
「ここは成り行きをじっくり見ましょう。こちらが動けば動くほど、敵が増えまする。」
「なるほど。」
「されど、気づかれぬよう、水面の下で泳いでおりましょうか。」
「それが良いな。」
と、覚世は相槌を打った。
周孝は八郎左衛門から逐一、香宗我部氏の内情を伝え聞き、策を練った。





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