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天20章 朝倉見聞 (その九) [天海山河]

この時代、相撲会は単なる余興ではない。
古くは飛鳥の頃より神事で執り行われてきたが、武家が力を持った鎌倉時代以降、家臣の力量を計る一つの指標として、各地の大名、豪族が期日を決めて催されていたのである。
殊に土佐は、相撲会の盛んなことで知られた土地柄であった。
国衆は相撲会と聞けば、津々浦々、領境など何のその、道場破りは当たり前と、ばかりに寄り集まった。
「吉井殿、二十人抜き。」
行司が高らかに勝ち名を呼び上げた。
「修理、見事じゃ。義母上の御前、当家の面目を施したこともある。褒美を取らせよう。望みを申せ。」
と、茂辰が訊ねた。
修理は、
「恐れながら、某はすでに高禄を給り、望む物はござりませぬ。されど、ただ一つ、そちらの蚊帳の奥に居られる御客人のお顔を拝見いたしたく存ずる。宜しくば、蚊帳をお揚げ頂けませぬか。」
と、言った。
ーこやつ。ー
覚世は額に汗がにじみ出た。
鴨部のことといい、己が来ることをいつ察したのか気に懸かった。
茂辰が答えに窮していると、
「修理殿、それは僭越と言うものですぞ。お控えなされ。」
と、茂辰の側近の者が制した。
「これは申し訳ござりませぬ。」
と、修理は引き下がった。
ーこのわしが、二度も同じ男に冷や汗をかかされるとはな。ー
覚世は紙と硯を懐の奥にしまい込んだ 。

翌朝、覚世と祥鳳は朝倉城を立った。
城門には、茂辰自らが見送りに出て、
「もうお帰りになられるとは、残念でござる。」
と、 別れを惜しんだ。

覚世が岡豊に帰ると、城は騒然としていた。
家臣どもが覚世の不在に気づいて、騒ぎはじめていたのである。
極秘に進めていたため、覚世が朝倉にいることを知っていた者は僅かである。
覚世はすぐに城の広間に家臣を呼び集めた。
事情を知る重臣の久武則義が、
「我ら薄氷を踏むが心地しましたぞ。何よりご無事でようござりました。以後、このようなことはお控え下され。」
と、言った。
そうとは知らぬ者たちは初めて知って、大いに驚いた。
覚世は苦笑いを浮かべ、
「朝倉の城は聞きしに勝る見事なものであった。本山は養明、梅慶、茂辰と三代続いた名門だけあって、万事立派なうえ、家臣も多い。されど我が家中の者に勝る者はおらぬ。ただし、吉井修理なる者は器量に優れておったが、いつ本山と戦になったとて、恐れることはあるまい。」
と、言うと、紙を懐から取り出し、ひらひらと揺らした。
家臣どもは、まるで猫が目の前にぶら下げられた魚を見るかのように、その紙を目で追った。
「それはいったい何でござりましょうや。」
と、家臣の一人が訊ねると、覚世は、
「本山の家来を記したものじゃ。」
と、紙を開いて、披露した。
家臣どもはその紙を見て、つくづく覚世の大胆さに驚いたのである。

さて、数日後、覚世は茂辰との約束を果たした。
長宗我部軍は密かに本山の兵になりすまし、森山城に夜襲をかけた。
一条方の城兵はてっきり本山の兵が攻めてきたと思い込み、城を捨てて逃げ出した。
こうして難なく落とした城を、覚世は茂辰にあっさりと明け渡したのである。
蓮池への足掛かりを手に入れた茂辰は、
「誠にありがたい。これで蓮池に乗り込めよう。」
と、感謝し、
「岡豊殿に、秦泉寺のことはお任せいたそう。」
と、心を許してしまったのである。
覚世はその言葉を伝え聞き、にんまりと笑った。



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