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海3章 潮江(その五) [天海山河(海の巻)]

若い輩もこれには不安を覚えた。
「弥三郎様、我らだけでは城は落とせませぬぞ。お引き下されませ。」
と、周囲の気を察した久武親信が言った。
「案ずるな内蔵助、俺の見立てに間違いない。」
と、弥三郎は返した。
一体どこにこれ程の自信があるというのか。親信はそれが、反って不安であった。
振り返ると、老臣衆は遥か彼方に引き離されて、蟻の如く小さくなっている。
ふと向きを戻すと、弥三郎はわずかな供ばらを引き連れて脚を早め、親信を置き去りにしていた。
親信は周章てて後を追ったが、弥三郎はさらに脚を進め、親信をはじめ若い輩もどんどん引き離されていった。
ついに親信は弥三郎の姿を見失った。
親信ら若い輩は城の大手口の坂に差し掛かると、槍を構え、土塁や木の陰に敵が潜んでいないか、慎重に進んだ。
「弥三郎様はどこにおわすか。まさか敵の手に…。」
と、吉田左衛門佐孝俊が言った。
孝俊は吉田重康の子で、このときまだ十七八であった。
「仮にも旗本のお主が、不吉なことお申すな。」
親信は血相を変えて一括した。
「すまぬ。内蔵助殿。」
と、孝俊は謝った。
親信は、
「兎に角、若様を見付け、お守りせよ。」
とは返したものの、悪夢が脳裏を過った。
親信はそれを必死に振り払い、どこかに弥三郎がいないかと辺りを見回しながら足を進め、詰の段までやって来た。
潮江城の詰の段は高い土塁と板壁に囲まれ、中の様子が窺えない。
しかし、どうも様子がおかしい。
虎口の櫓門の上には無数の旗が立っているが、物音一つしないのだ。
親信はそうっと門を押してみた。
すると、すうっと扉が開き、
「あっ。」
と、親信は声を上げた。
扉の向こうには誰も居ない。
「いったい、どうしたことか。」
と、傍らの孝俊が言った。
「分からぬ。もぬけの殻じゃ。」
と、親信も唖然とした。
足を踏み入れ、数歩進むと、
「どうじゃ、内蔵助。」
と、上から声がした。
見上げると、櫓門の階(きざはし)に弥三郎が腰かけていた。
「いったいこれは。」
と、親信が言った。
「ははは。」
と、弥三郎は笑った。
親信と孝俊はぐるりと辺りを見回した。
そこへ老臣どもが息を切らせてやって来た。
「へえ、へえ、これは、ああ如何したことか。」
と、川窪空念は槍を杖にして、かろうじて立っている。
弥三郎は階から飛び降り、
「見ての通りじゃ。」
と、言った。
「それはそうとも、如何にしてこの城が空と察したのでございましょうや。」
と、空念が訊ねた。
弥三郎は笑いながら、
「先程の合戦に負けた敵ならば、まず近きこの城に引き取るべき所、一人も振り向かず退くを見て、さてはこの城の旗は偽りではないかと思ったのじゃ。見れば旗は動かず、天を舞う鳶、梢の烏も驚かず、これに人無しと見て、攻めたということじゃ。」
と、答えた。
空念ら老臣どもは、すぐさま槍を地に置き、跪いて、
「土佐の国は言うに及ばず、四国の主に成りたまうべき大将のご器量。これぞ土佐の出来人にござ候う。」
と、仰いだ。
さて、弥三郎は潮江城を森近江守孝頼に与えた。
森孝頼は、潮江の旧領主森実頼の子であった。
「これで亡き父の無念を慰めましょう。」
と、孝頼は涙を流した。
「近江守、事は始まったばかりじゃ。これからも頼むぞ。」
と、言うと、弥三郎は潮江の湊より舟に乗り、岡豊へと向かった。
この弥三郎の機転は単に一つの城を落としただけではなかった。
潮江城の孝頼をはじめ、浦戸城には弟の親貞、種崎城には江村小備後を置き、長宗我部氏は土佐の要港、浦戸の入江をぐるりと押さえたのである。
ところで、この日のことを岡豊に戻って母に話した者がいた。
吉田孝俊である。
後にこの話が思わぬ格好で役に立つときが来るのだが、それはまたのお楽しみとしよう。


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