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海2章 戸ノ本(その五) [天海山河(海の巻)]

縦に伸びていた本山の陣形は、激しい地鳴りとともに大きくくの字に曲がり、真っ二つに引き裂かれた。
右辺に構えていた茂辰は大きく煽られ、浜際まで押しやられた。
この時、池添源兵衛は大窪美作守の息子、勘十郎を討ち取り、東四郎右衛門という者は吉良民部の御首級をあげた。
浜田久左衛門は豪傑で知られる宇賀平兵衛と組討ちし、平兵衛あわや首を討たれんとするところ、郎党が加勢して、久左衛門の首を討ち取った。
その郎党が首を槍の柄の結び着け、立ち去らんとするところ、弟の善左衛門が見咎めて、
「おのれ、兄の仇。」
と、血相変えて、郎党の背後から討ちかかった。
郎党は斬られ、紅の飛沫が宙を舞った。
「汚なき長宗我部が小侍め。戦の習いを教えてやろう。」
と、平兵衛が立ちはだかった。
「望むところ。」
善左衛門が槍を構えると、平兵衛は薙刀を振り上げ、懸かってきた。
善左衛門は槍でそれを受けんとしたが、柄の中ほどで真っ二つに切り落とされた。
平兵衛はにっかと笑った。
そして、再び薙刀を構えると、善左衛門の頭めがけて振り下ろした。
途端、砂煙が舞い上がった。
善右衛門が砂を蹴り上げたのだ。
間一髪、薙刀は善左衛門の頬をかすめ、空振った。
善左衛門はすぐさま刀を抜き、平兵衛の脇っぱらに突き立てた。
「汚き長宗我部め。」
と、平兵衛は崩れ落ちた。
善左衛門は兄の首に平兵衛の首を添えて、
「これ浜田善左衛門なり。兄の仇討ち取ったり。宇賀平兵衛が首、討ち取ったり。」
と、名乗りを上げた。
それを聞いた本山の兵は怖じ気付いた。
見れば、檜扇の馬印は浜際に追いやられ、隊は崩れて散在している。
名ある将を討たれ、夜中を行軍した兵卒の息は絶え絶え、もはや陣を立て直すのは不可能である。
ついに、本山の兵は西を指して逃げ出した。
「崩れたぞ、追え、追え。」
長宗我部の徒武者どもが、勢い掛かって後を追った。
本山の兵は疲れ果て、多くが討たれて、木塚の口まで無数の屍を並べた。
西に傾く盛夏の日輪は、赤々と燃えて岡豊の兵の顔を照らした。
汗と埃にまみれた兵卒の顔は、疲れとともに安堵色を見せていた。
一方、茂辰は浜際に押されて朝倉への退路を失った。
残るところは浦戸の城しかない。
やむを得ず、茂辰は残兵をまとめて、浦戸城に逃れた。
それを見た覚世は、本陣を若宮八幡宮に移した。
そこへ手柄を立てた兵卒が首級を携え、続々と集まった。
覚世はぐるりと見回した。
弥三郎の姿がない。
「弥三郎の顔が見えぬな。伊賀介。」
と、吉田重康を呼び、
「すまぬが弥三郎を探して、ここへ連れて来てくれ。」
と、頼んだ。

そのころ弥三郎は、浜辺に腰を据えて、うち寄せる波を眺めていた。
「弥三郎様、そろそろ本陣へ参りましょう。大殿も此度の活躍ならば、抜け駆けを咎めは致しますまい。」
と、親信が言った。
ところが、弥三郎は黙ったまま、波の音に耳を傾けた。
「弥、…」
と、親信が声を掛けようとすると、誰かが肩をぽんと叩いた。
振り替えると、谷忠兵衛が立っていた。
忠兵衛は首を横に振った。
弥三郎は今日が初めての戦場である。
恐怖や不安、焦り、嫉妬、忍耐。それらをひた隠しにしてきた。
が、今日、戦場に臨んで、敵の鮮血、断末魔、舞い上がる土煙、そのなかを無我夢中で駆け抜けた。
今は吐き出すものを吐き出し、蝉の脱け殻のように空っぽなのだ。
親信にも渇きのような虚無の念がある。
親信は頷き、忠兵衛とともに弥三郎を見守った。
うち寄せる波が小石を玩んで、美しい音を立てる。
親信と忠兵衛も腰を下ろして、波の音に耳を傾けた。
同じ間隔でうち寄せる波は、空っぽの心の中を何かで満たそうとしているようだった。
我にかえると、弥三郎に従った抜け駆けどもが浜辺に集まっていた。
何れも無事のようである。
しばらくして、弥三郎が太刀を杖に徐に立ち上がった。
「うおおう、うおう。」
弥三郎は雄叫びを上げた。
親信も立ち上がり、波に向かって、
「うおう、うおう。」
と、叫んだ。
親信にも、今まで腹にためていたものがある。
欠片も残さず吐き出すと、ぶるっと震えが走った。
何を今まで小さな事ばかり考えていたのだろうか。見よ、今、己が仕える主は、見事我が軍を勝利に導いたではないか。あの姫若子がやったのだ。辛かったのは俺だけではないのだ。ここにいる誰もがそうだ。
「うおう、うおう。」
親信は何かを掻き消すかのように声を絞り上げた。
「うおお、うおおう。」
抜け駆けの従者たちも一斉に吠えた。
胸がすっとした。
これほど晴れやかな気分はない。
ふと、皆が顔を見合わせた。
何故か次には笑いが込み上げてくるのだ。
「わはははは。」
抜け駆けの主従は天を仰いで笑った。
すると、遠くから、
「若殿様、若殿様、何処におわすか。」
と、重康の声が聞こえてきた。
「お、伊賀介か。」
弥三郎は、近くの岩の上に登り、手を振った。
重康はそれを見つけて、駆け寄ってきて、
「大殿様がお呼びにござります。」
と、伝えた。
弥三郎は振り返り、親信らに向かって、
「では、皆々、本陣に参るといたすか。」
と、言った。
再び、どっと笑いが起こった。
重康は困惑して、
「若殿様、これは如何に。」
と、訊ねると、弥三郎は、
「なあに、これが生き残ったと言うことよ。我らはもはや笑うしか何も残っておらぬのじゃ。」
と、答えた。


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